月が次第に太り、その時がきたことを告げています。
かつてはこうやって、月を見上げながら盆を迎えたんだろうなあ。
厳しい暑さながら、夕には、チ、チ、チ、と虫の声。
22:37
【オショライさん】 8月20日の金曜日は旧暦7月13日でした。 月が次第に太り、その時がきたことを告げています。 かつて […]
月が次第に太り、その時がきたことを告げています。
かつてはこうやって、月を見上げながら盆を迎えたんだろうなあ。
厳しい暑さながら、夕には、チ、チ、チ、と虫の声。
16:25
八百屋の店先のお盆の風物です。 これは、大田区の御嶽山駅近くの八百屋さん。 毎年中身は少しづつ違う気がします。お店によっ […]
00:42
#17 2021.04.20 皆で翻訳してきた冊子のページも残り少ない。ただ、そこで終わりではない。まだ […]
#17
2021.04.20
皆で翻訳してきた冊子のページも残り少ない。ただ、そこで終わりではない。まだまだ道のりは長い。
今日印象に残った一つ目の話は、’Site’という言葉について。冊子の中にこんな一文が出てきた。
” I made a whole walnut furniture set, buying the material from five different sites.” (p78)
これはウェブサイトという意味でのsiteなのか、それとも、場所や敷地、地点をあらわすsiteなのか。
もし前者だとして、今ほどインターネットが普及していない1994年〜1996年、包囲戦下のサラエボで、ウェブサイトで木材を購入することは可能だったのだろうか。
もし後者だとして、あの状況下で、木材を入手できる場所がサラエボの中に点在していて、その情報を市民たちがシェアしていたのだとしたら。とても考えさせられる。
-場所場所に色々な人が色々なものを集めてたり、色々な情報がローカルに集中していたり。それって生き延びるための財産だよね。
-このような「人々にとっての’site’」っていうものは、意外と存在しないですよね。
今日印象に残った二つ目の話。包囲戦中(おそらく)、プラトンとヘーゲルの本がベストセラーだったという話。
”probably everyone wanted to read difficult things to forget about the war and their own difficulties. Plato and Hegel were bestsellers.” (p81)
例えば第二次世界大戦中の日本や東京でのベストセラーはなんだったのだろう、と気になった。
今は『鬼滅の刃』がダントツで売れていて、その次によく出るのが『あつまれどうぶつの森』だと、書店で働く友人は言っていたが。
想像や思い出、知識、さまざまな背景、時代が錯綜しながら、『翻訳』は進んでいる。
09:21
富岡多恵子に 『丘に向ってひとは並ぶ』 という著作がある。 今回の展示では、青森や福島、金沢を巡ったノートが展示されます […]
富岡多恵子に 『丘に向ってひとは並ぶ』 という著作がある。
今回の展示では、青森や福島、金沢を巡ったノートが展示されます。
四冊のノートのはじまりは、日本以外の国に出自を持つ方々から始まっているので、もっともっと広いね。
いろいろな人生があることは当たり前だけれど、正史というより、日々ひっそりと生きた人たちの近現代史、を、ひと世代後の人が描く。川沿いの風景、雪の風景、山の風景。情景が浮かぶ。そして、その、浮かぶ情景も、人によって違うよね。
ギャラリーの(十分ヘタレているから、白い、というのもナンだけれど)白い壁や展示用の白いボックスに展示するのではなく、巡ってきた手触りそのものを、密かに手にとって見られる様に、1人で座れる椅子とテーブル、そして秘蔵の‥を用意した。
これは、椅子を借りに行った時の写真。積み込みのために運んできたところ。
そこで、『丘に向かってひとは並ぶ』という本を思い出した。
具体的な内容は忘れてしまったけれど、でも、なにか心にひっかかる内容だったな。
母親と同じ世代の人。彼女がお祖母さんのことを語ったら、どんな語りになるんだろう。
「物語のようにふるさとは遠い」 っていうのもあるんだけどね。
17:11
本日のかがわ工房では、透明ビニールバッグに絵を描いたりシールを貼ったりしました。 透明なものに絵を描くって、それだけでワ […]
本日のかがわ工房では、透明ビニールバッグに絵を描いたりシールを貼ったりしました。
透明なものに絵を描くって、それだけでワクワクします。皆さん、思い思いのペースで描いたり貼ったり制作されました。
今日は調子の良い方が多かったのか、皆さん満面の笑みで制作されていました。
07:49
#4 2020.10.06 introductionを経て、4回目の昨晩、本編?を読み始める。 ベルリン、愛媛、東京と […]
#4
2020.10.06
introductionを経て、4回目の昨晩、本編?を読み始める。
ベルリン、愛媛、東京と3箇所をつないで。
Googledocumentにお当番さんが翻訳した文章をアップしながらzoomで。
英語の先生を招いて。
4回目の当番、私はまず、英文を、と。それが終わったらディティールを、と、いつものパタンで間に合わない。
単語の羅列として帳尻はあっていたとしても、文意はわからない。
皆で読み始めてページの絵を見る、フッターのキャプションを見るとアーティストの名前。
ここでやっと、絵と言葉の関係を考えるに至る。遅い‥。
当時、サラエボに暮らしていた方々のメタファーとアイロニー。
背景がわからないと全くわからない文章。面白いな。英語の問題というより、もっともっと深い理解が必要になる、し。
彼らは何を伝えたかったのか、一人一人を、一つ一つを想像する。親密になる、私の深さがあるといいのだけれど。
A Jelly Bomb
ジェリー・ボム
ゼリー爆弾
柔らかくて優しくて美味しそうなものと爆弾。
そしたら、Bomb=グラフィティでは違う意味あるんじゃない?って。
いろんな背景を持つ人がいることの強み。
エキサイティングだな。
16:33
【かがわ工房のアートの時間が再開しました!】 新型コロナウイルス感染拡大を受け、3月からお休みをしていたアートの時間が、 […]
【かがわ工房のアートの時間が再開しました!】
新型コロナウイルス感染拡大を受け、3月からお休みをしていたアートの時間が、9月から再開となりました。
新年度の異動もあった中で、この半年間、利用者、そのご家族の皆さんの安心、安全を第一に、ご尽力されてきた職員の皆さん、本当に大変だったことと思います。
アート再開にあたっても、外部の人を受け入れるということで、感染対策を十分整えたうえで利用者の方とご家族にアンケートを取り、丁寧に不安な気持ちに寄り添いながら準備をすすめてくださいました。打ち合わせでは「この半年利用者の方とは感染予防の話ばかりにならざるを得なかったけれど、お一人お一人のことを、アートの作品を通じて話せるようになっていきたい」という施設長さんの利用者さんに寄り添う姿勢に感銘を受け、改めて、利用者の皆さん、ご家族、職員の皆さんとともに、表現活動を再開する意義と喜びを感じました。
そして再開初日。個別のテーブル、半分の人数で入れ替え制という新しいスタイルでのスタートには、野川で摘んだ秋の草花のスケッチをしました。楽しみに参加してくれる利用者の皆さんと、見守る職員の皆さんとの再会は本当にうれしかった。そして、個別の、短時間の活動になったおかげで、今まで参加できなかった利用者さんが、とっても素敵な絵を描いてくれた、という、思わぬ収穫もありました!
しばらくは、できる活動に限りもあるけれど、できることはたくさんあります!新しい、楽しいことにもチャレンジしていきたいし、みんなと楽しい時間を過ごしていきたいと思います!
08:23
自分を再び位置付けられるようになる 『プシコ ナウティカ イタリア精神医学の人類学』という本を教えてもらった。 ほとんど […]
自分を再び位置付けられるようになる
『プシコ ナウティカ イタリア精神医学の人類学』という本を教えてもらった。
ほとんど研究書のようであるが、とても読みやすい。
きっと、研究としての精度もたかいけれど、とても深く著者の実感に裏付けられているからだろうな。一語一語に具体的なリアリティがある。
造形や創造の営みの中に、潜在する自分自身と出会う、自分で気づいていない自分自身の状況や可能性を発見するということがあるのではないかと、常々思う。
この図書の中では、「病を得た人が、かつて苦しかったことについて、他人に話すことができるようになる。そして苦しかった時と比べて今はより調子がいいと言えるのようになる。これが過程としての治療ということであり‥‥。」
この文脈の中で、少しでも本人にとって楽な状態になった時の表現として(治る、という言葉は、常々適切ではないと思うので、使いたくない。治る、ということは、マイナスがゼロあるはプラスになるような印象がある。あるいはそこで終わりという印象あり) 「自分を再び位置付けられるようになる。それは具体的な場所のことではなくて、人生の航路、魂の航路において、自分がどのあたりにいるかわかるようになるということである、とある。
なるほどなあ、と思う。
自分を位置付けられるようになる。もちろん、治療者と共に歩む道の中で、そのような状態を得ることができるようになることもあるだろう。そして、治療や寛解という文脈ではなく、造形+創造の営みには、拡張する自分自身の可能性を感じると同時に、自分を相対化し、「位置付け」を確認する(魂の航路の中で)作業としての可能性もあるのかもしれない、と、読んでいて思う。
図書の中の、このことが書かれている部分の章タイトル『主体性を返還する」。おもしろい。
はじめにー「ものがある」という経験
という文章も、とても面白い。おすすめ。
06:47
昔、ピナ・バウッシュのことを書いた本に『ピナ・バウシュ―怖がらずに踊ってごらん』っていうのがあったっけ。 様々な機会に得 […]
昔、ピナ・バウッシュのことを書いた本に『ピナ・バウシュ―怖がらずに踊ってごらん』っていうのがあったっけ。
様々な機会に得た気づきや疑問を、これからの活動や進む道に生かしていくために、整理をしようと始めました。
昨日は遅ればせながら、手伝ってくれる編集者、デザイナーと初めてのmtg。
真ん中がビールのコップじゃなくてよかった‥。
日頃、周りの人たちには、プロジェクトの構造、みたいなことを問うているけれど(一つ投げた石がどんな波紋を呼び、また次の石を招くか、みたいなことを、硬直したフローではなくて、様々な関係を想定しながら、しなやかに意識できたらいい)、なかなかそれは難しい‥。
大きなメッセージは、怖がらずにやってみよう、やってみることのできる安心を得ることができるといいな、ということ。1人でも、他の人たちと一緒でもね。
大丈夫だよ、やってごらんよ、やってみようよって、たくさんの図工の時間でも、ワークショップでも言ってきたな。
思いも寄らない爆発(笑)があると嬉しかったな。それは次への架け橋だ。
これから粛々と、書く‥。予定。
10:26
【まちみ活動日誌 #1】 8月15日、第一回目でした。メンバー同士の自己紹介と”シコ”を踏みました。 シコはシコでも、お […]
【まちみ活動日誌 #1】
8月15日、第一回目でした。メンバー同士の自己紹介と”シコ”を踏みました。
シコはシコでも、お相撲さんが踏んでいるシコとは少し違うようです。カタカナで”シコ”と書くのか、ひらがなで”しこ”と書くのか、漢字があるのか。日本語ですらないのかも?なんとなくカタカナのイメージがあるので、カタカナにしました。体の中心から暖かくなっていっているようでした。
みなさん、それぞれの場所でシコを踏んでいました。それぞれの時間を刻みながら。たまに電波障害で止まったり、音がズレたりしながらも、それが逆にそれぞれが過ごしている時間を感じられて、面白いなあ、と思ったりしました。
それを横目に私ともう1人は、ひたすら検温していましたが。
16:11
7月28日、今年度2回目のえいちゃんくらぶを開催しました。 シャトー2Fのカフェスペースを会場に、検温、消毒、換気、ソー […]
7月28日、今年度2回目のえいちゃんくらぶを開催しました。
シャトー2Fのカフェスペースを会場に、検温、消毒、換気、ソーシャルディスタンスに配慮しつつ、会場とリモートに分かれて、合計10人のメンバー、サポートメンバーが参加しました。
本日の予定は、YouTubeの使い方講座と、アートフル・アクションスタッフでえいちゃんにもサポートで入ってくれている、はるかちゃんの映像作品鑑賞会です。
まずは、第一回のえいちゃんくらぶの反省を生かした会場設定を試みました。
当面の目標の一つが全員がzoomを使いこなせるようになることなので、全員がzoomにつなげると、当然激しくハウリングします。前回は動き回る講師の声が拾えなかったり、ハウリングがひどくて、リモートの人たちは会場の声がほとんど聞き取れなかったので、今回は講師のPCのみ収音マイクをつなげ、他の皆さんはオーディオを切断しました。「ミュート」ではなく、「オーディオを切断」にすることがポイントです!これでハウリング問題は解決です!
収音マイクは、角度や距離によってうまく声を拾えないこともあったので、リモートの方に聞こえ方を確認しながら、マイクを適宜動かしながらおしゃべりしました。みんなでワイワイしゃべると拾いきれなくなるようですが、一人一人しゃべるのは、ディスタンスを撮っていてもそれなりに拾えたようで、リモートの方とも割とスムーズにおしゃべりできました。
もう一点は、特に講師の角尾さんは席を立つことが多いので、一人一人の顔がモニターに映らなくなることがあったり、会場全体で何が起きているのかがよくわからないということがありました。そこで、会場全体を映すタブレットを一台設置し、全体の様子が分かるようにしました。
この2つの工夫で、会場とリモートの距離が格段に縮まった手ごたえをつかむことができました!!
そんな試行錯誤で30分ほど押して始まったえいちゃんくらぶ、まずはYouTubeの使い方講座から始めました。リモート参加のKさんはすでに使いこなしているので、会場のメンバーさんの質問にいろいろ答えていただきました。
メンバーさんからの質問では、「YouTubeにアップすると、世界中の人が見れるようになるのではないか?」「特定の人に見てもらうのなら、わざわざYouTubeにアップしなくても。データを送ればいいのではないか?」「YouTubeとクラウドの違いは?」などの質問が出ました。プライバシーについては限定公開という仕組みがあること、YouTubeだとデータをダウンロードしなくても動画を共有できること、例えばYouTubeを画面共有しながらzoomで話をすることもできる、などいくつかの疑問が解決すると、皆さん、YouTubeの活用に意欲満々!今回は全員がサインアップと、動画をひとつアップしてみる、というところまでやりました。いやぁ、みなさん、頑張りました!!きっと半年もすれば、皆さん使いこなしているんだろうな、と思います。素晴らしい意欲と情熱、そして遊び心です!
あわただしいランチタイムを終え、後半は、はるかちゃんの映像鑑賞会です。彼女が2年にわたって撮影し、制作した映像作品を鑑賞しました。編集の方法についての鋭い質問、「作者としてのはるかちゃんが何を伝えようとしているのか」「こうすればより具体的になって伝わるのではないか」「でも、説明的になってしまうより、それぞれの人がいろいろな想像ができる方がいいのではないか」「この作品のテーマから、このようなことを連想した」など、深くて鋭くて温かいコメントがどんどんあふれてきて、終わるのが惜しいほどに盛り上がりました。
次回は8月18日です。新しい仲間も、いつでも歓迎しています。ご興味のある方は、アートフル・アクションまでご連絡ください!
16:58
窓*窓プロジェクトにご関心を寄せていただいた皆様、どうもありがとうございました。 コラボレーションしていただいた深浦よし […]
窓*窓プロジェクトにご関心を寄せていただいた皆様、どうもありがとうございました。
コラボレーションしていただいた深浦よしえさんのシャトーの窓絵は消えましたが、これからも、あなたの窓と誰かの窓はつながっていて、誰かのことを少しだけ思いながら飾った窓が、もしかすると誰かの心をほんのり明るくしたり、温かくしたりするかもしれません。そして、私自身の心も、ほんのり明るく温かくしてくれるかもしれません。
窓がそこにある限り、このプロジェクトは続いています。
これからも、ふとした時、絵を描いたり何かを作ったときなどに、このプロジェクトを思い出して、ときどき窓を飾ったり、窓で遊んだりしていただけると嬉しいです。
11:52
11:47
花はどこへ行った?|4/21〜4/27佐藤李青(東京アートポイント計画) アーツカウンシル東京の佐藤さんとは、夜に(たま […]
花はどこへ行った?|4/21〜4/27佐藤李青(東京アートポイント計画)
アーツカウンシル東京の佐藤さんとは、夜に(たまにね、SNSで)昼に様々な対話を重ねてきたが、佐藤さんの日記が公開された。
この、佐藤さんの日記の公開についてお問い合わせをいただいたやりとりで、NHKのテレビで放送していた巡礼のドキュメンタリのことを話した。
テレビの視聴権をお子さん方と奪い合い(?)ながら、半分ご覧になった佐藤さんのコメント、
同じ目的をもって歩いている人たちの優しさみたいなものが印象的でした。
みんな巡礼の道を歩いていると思って生きれれば、世界は優しくなるんですかね。
もちろん、その世界は人間だけではないものとして。
「花はどこへいった」
戦争や争いをやめよう、そのためにできることをしよう。戦争をしないで済む世界を、大人はつくろう‥。
この映像のもっと向こうにある、一人一人の暮らしや、生まれくる子供達。そして、兵士が派遣された地に生きる見ず知らずの人たちの暮らしや大きな権力に翻弄され、委ねられる生死。沈黙している私たち。この音楽はピート・シーガーがコサック民謡にインスパイアされたものって聞いたことがある。ベトナム戦争時に、コサック民謡に触発された音楽が歌われたってことも、またいろいろと考えちゃうね。
想像力を発動させよう。彼の地で、亡くなった人たちの音楽を、映像を知るきだね。
私の犬の名前は花。呼んでも来ないけどね。この犬はアスファルトの上は歩きたがらず、某大学の畑や神奈川や山梨の山はかなり上手に楽しそうに歩く。逃走もするけれど。某大学の畑では、モンシロチョウを追いかけカエルに驚き、草に体を擦り付ける。野に生きる、生きようとする生き物は正直だな。
19:49
じっくりと聴きましょう。 観ましょう、かな。 Roger Waters 77歳。 https://www.faceboo […]
じっくりと聴きましょう。
観ましょう、かな。
Roger Waters 77歳。
https://www.facebook.com/281553962242841/videos/692423128187279
さいごまでどうぞ。
15:45
今年の学校連携事業をどうしようか、そんな話を学校の先生たちと一緒にし始めています。 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて […]
今年の学校連携事業をどうしようか、そんな話を学校の先生たちと一緒にし始めています。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、ほんの2、3か月前からガラッと色々な事が変わってしまいました。
学校連携事業は、学校の中に、先生とは違うヘンな大人たちが混じってゆく行く授業。
もちろん、感染が収まって子どもたちが学校に行くことができるようになったら授業をしましょう、ということにはなっているけれど、
この出来事を無かったことにするのではなく、この状況で何ができるのだろうか。そんなことを少しずつ話しはじめています。
図工専科の先生からいまの学校の近況報告を聞きながら、オンラインで相談をする。
授業ができないので、学校のHPには課題が教科ごとに出されていて、図工もそのひとつ。
学年ごとに、すごろくを作ってみたり、家の中で顔に見えるものを探してそこから何かを作ってみたり、ダンボールで迷路をつくったり。
手書きで書かれたお手紙はあったかくて、家の中で工夫して子どもたちがたのしめるように、先生がじっくり考えているのがわかる。
最初は絵日記を描いてもらおうと思っていたけれど、彼らがこの間例えば課題を通して作ったものに、そのことがきっとあらわれるのではないか。
子どもたちに向けて出ている課題がどんなものなのか。やってみないとわからないと実際にやってみました。
(衝撃的に造形活動が苦手な私です)
隣にいた3歳児と一緒に2年生の宿題に挑戦。厚紙が無いからとっておきのブックカバーを使って、プリンターが壊れて印刷ができず子どもと喧嘩しながら、
はさみにハマっている子どもが切ったマスを並べて、こどものクレヨンでつないで、すごろくのできあがり。
並べただけなのに、子どもはこれがまちや高速道路に見えるのだという。すごろくの駒は、トミカを代用。
最近行く「病院」や、「実家の猫」を子どもに指示され私が描きこむと、絶妙に、この状況のなかで3歳児の彼が受け止めるスケールのまちがそこに表れている。
これが一体どういう経験なのか、わからない、未曾有の出来事の中にきっと私たちはいます。
みんなどうしているのだろう。ほんとうに、それぞれ色んな状況がある。数回の授業じゃ微かなことしかできないと思うのだけれど、
この状況を自分なりに考えてみたり、反芻してみたり、深める機会になったらいいなと話しています。
これからいろいろなことを学ばないといけない。災害とトラウマや、子どもたちの児童心理学の専門家にもインタビューも考えています。
朗らかに、できるだけ丁寧に、こういう時こそ淡々と。リサーチ引き続き継続中。です。
21:57
封切りの時にはみることのできなかった、坂上香『プリズンサークル』。 アップリンクの仮設の映画館で。 受刑者同士の対話をベ […]
封切りの時にはみることのできなかった、坂上香『プリズンサークル』。
アップリンクの仮設の映画館で。
受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。
ってある。
TC(セラピューティック・コミュニティ)
Therapeutic Communityの略。「治療共同体」と訳されることが多いが、日本語の「治療」は、医療的かつ固定した役割(医者―患者、治療者―被治療者)の印象が強いため、映画では「回復共同体」の訳語を当てたり、そのままTCと呼んだりしている。英国の精神病院で始まり、1960年代以降、米国や欧州各地に広まった。TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。
日本では、受刑者のうち、このプログラムに参加できるのは四十人だけだとある。プログラム体験者は再犯率が低いとのこと。
いろんな文脈で当事者、という言葉が出てくるけれど、なんなんだろうな。
全ての人が当事者だな、きっと。
継続‥。
自主事業に、なるといいな。
12:20
みなさん、暑い週末でしたが、いかがお過ごしでしたか? 窓*窓プロジェクト「青空の下、あなたの窓と私の窓はつながっている」 […]
みなさん、暑い週末でしたが、いかがお過ごしでしたか?
窓*窓プロジェクト「青空の下、あなたの窓と私の窓はつながっている」では、窓を飾ることを楽しむとともに、窓を通じて人と人との気配を感じ合い、改めて人とのつながりを感じるきっかけになるといいな、と思っています。ぜひ、お家の窓を、窓の外の誰かに思いをはせながら、絵を描いたり、工作を貼ったりして、「窓」で遊んでみませんか?
窓に作品を飾ったらハッシュタグ #窓窓プロジェクト をつけてFacebook、instagram、Twitterに投稿してください。(個人情報が特定される投稿にならないよう、お気をつけください)
シャトーの窓には、深浦よしえさんの絵が、着々と広がっております。よしえさんの絵が、みなさんのお家の窓まで拡がって、いろんな窓がつながっていくと素敵だな、と思います。
また、アートフル・アクションに作品を送っていただいて、一緒に飾るコラボレーションも、26日(火、消印有効)まで受け付けております。
21:23
コロナウイルスの影響で、3月末の「まちはみんなのミュージアム」で企画していたイベントは中止になりましたが、そのご縁で、野 […]
コロナウイルスの影響で、3月末の「まちはみんなのミュージアム」で企画していたイベントは中止になりましたが、そのご縁で、野川沿い、武蔵野公園そばの藤本陶房さんで、カフェを始める方がいらっしゃいます。私もGW中、テイクアウトでベーグルをいただきました。美味しかった~!
GW中、テイクアウトのみの販売をし、いったん自粛、落ち着いたら本格オープンをされるそうです。また、未来の楽しみが増えました(⌒∇⌒)
*********************
伊藤さま
本日はありがとうございました😊
藤本さんとはまちはみんなのミュージアムからご縁をいただきました!カフェコティも2人でたちあげましたが、どちらもまちはみんなのミュージアムの企画運営スタッフです。
活動に参加してから大きく繋がったご縁に、改めて感謝している今日この頃です。
ブログで紹介いただけるとのこと、大変嬉しく思います!
ぜひよろしくお願いいたします✨
テイクアウト販売は次の土日で一旦自粛となり終了しますが、コロナが落ち着いたら改めてカフェとしてオープン予定です。
お時間ありましたら、またぜひ遊びに来ていただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!
カフェコティ
草野晃子
21:09
緊急事態宣言のもと、かがわ工房のアートの時間も、当面の間お休みです。 お休みしている間も、利用者の皆さん、職員の皆さんが […]
緊急事態宣言のもと、かがわ工房のアートの時間も、当面の間お休みです。
お休みしている間も、利用者の皆さん、職員の皆さんが、どのように過ごされているかな、と思っています。
かがわ工房の、アート担当の職員さんから今の様子について、お休みできる利用者さんはお休みを取ったり、職員数を減らしたり、換気を行ったり、対策をしながら活動されていると、メールをいただきました。そして、そのような中でも、アート教室を楽しみにしている利用者さんもいらっしゃるということも教えていただきました。
皆さんに気持ちを届けたいと思い、「ちょっとお手紙プロジェクト」に乗っかって、野菜ハンコで便箋を作って、お手紙をしたためました。
私も、早く皆さんと、楽しくアート活動をしたいよ。。。
11:32
先々週くらいから、小学校の先生方といろいろなお話を始めた。 学校の様子を聞いたり、物事の決め方、決まり方(学校を巡る意思 […]
先々週くらいから、小学校の先生方といろいろなお話を始めた。
学校の様子を聞いたり、物事の決め方、決まり方(学校を巡る意思決定ね)について、話をした。
その中で、うすぼんやりと頭をよぎるのは、青山真治の『ユリイカ』だ。バスジャックに遭遇した姉弟とバスの運転手のロードムービー。
ノベライズとしては、よくかけていると思う。これも。
ユリイカの子供達も今の子供達も、トラウマとか癒しというのは簡単だけれど、そんな言葉で括れない、表面的に見えない、言語化できないところで、理屈ではなく、肌で目で心で物事を捉える結果、手の届きにくい深い深い水の中にいるようだ。人は傷つくし壊れる。声高に叫ばなくても、暴れなくても、ひたひたと。文科省の皆さん、『ユリイカ』(タイトルだけで終わらないでね)は、いま、そこかしこに起こっている気がしますよ。でも、役所広司演じる沢井さんは、そこかしこに居る人ではないよね。
一方で、待っていた本が昨日届いた。
『治したくない』。
20年くらい前に、
『悩む力』を、とても興味深く読んだ。
『学校は工場ではない』、『むずかしい時期の子供たち』も。これは、もっと前かな。まだ買えるかな。一円だ!買っても良いよ、みんな。図書館で借りても良いけどね。
みすず書房シリーズだ(苦笑)。
「治る」、とか、the「普通」の人、とか、良い子っていうんじゃなくて、その状況の時に、その人がそのようにしか居ることのできないことに、どんな風に出会うのかな。その出会いの中で、その人から照り返される光で、見えてくる何かもあるよね。ポツポツと、一人一人が誰かを教育するとか、治すのではなくて、お互いに教室の面談や診察、みたいに真向かいにならずとも、正座して正対しなくてもね(笑)、すれ違い際にでもね、ふと光が射すと良いね。自分を照らすために他者が居るのではなくね(ここ、大事なところだ)。視線を合わせることすら難しいという話を聞いた。でも、お互いの存在が、少しでも空気を揺らすと良いかもしれないね。視線を合わせなくてもね、そこに居るだけで空気は流れるしね。長いね‥。
20:23
林道郎さんのTwitterを何気なくみていて気がついた。 臨時休館中の丸木美術館を支えてください 昔、この近くの湿地の保 […]
林道郎さんのTwitterを何気なくみていて気がついた。
昔、この近くの湿地の保全の仕事を10年くらい、住民の人たちと行った。
そこで出会った、小さい頃丸木さんと会ったことのある人は、シャンプーは体によくないよ、と言って頭をさすってくれた丸木さんの話をしてくれた。
決して、設備の整ったかっこいい美術館ではない。夏は暑いし冬は寒い。
でも、ここがなくなるのは大変恐ろしいこと。
この、小さな場を借りて、アナウンス。
いろいろとしなければならないことがたくさんあるけれど、どうか、この美術館のことも、忘れずにいてください。
この近くではあと一月ほどで源氏蛍が舞います。どうか!
22:15
19:39 Homeを入れたいのは何故ですか? アートフル・アクションでは、スタッフ間のコミュニケーションツールとして、 […]
19:39
Homeを入れたいのは何故ですか?
アートフル・アクションでは、スタッフ間のコミュニケーションツールとして、Slackというアプリを使っています。
今、遠隔で、誰とも直接会わずに仕事をしています。
その中で、シャトーの窓を巡るやりとり。全文。花は、花の花と、犬の花、の両方。ご注意ください。
いとう 14:59
3 個のファイル
Haruka Moriyama 16:45
見やすいですね。花がちょっとづつ増えていったり、なんかあの窓が毎日ちょっとづつ変化してるだけでも「あ、誰かいるんだろうな」っていう謎の安心感があります。
みやした 16:48
脚立映ってる(笑)。
場所があって良かった
Haruka Moriyama 16:48
なんか募集しなくても、その日誰かが持ってきたちょっと綺麗な紙の切り抜きとか、拾った葉っぱとかそういうの貼ってくだけでもいいのかなとも思いました。三脚目立ちますね笑
みやした 16:49
時々犬がいる
Haruka Moriyama 16:49
犬もいるのか笑 外見てるのかな。
みやした 16:50
今日はいないけど。
わたしが外に写真を撮りに行ったらひっついてきちゃうかもな
16:52
誰かいるよって言う安心感は素敵だね。
16:54
明日は3連発mtgだけど、明後日、何か置こうかな。テーブルと椅子かな。
Haruka Moriyama 16:57
あ、そういうのもいいですね!コーヒーカップとかも。
みやした 16:57
人が座っていたりいなかったり。
いとう 16:58
脚立片づけます(笑)
先日アイデアを添付しましたが、「Enjoy arts @ Homeキャンペーン」っていうのはどうですか?
今SNS上で、いろいろリレーが行われていますが、この窓でも、ギャラリーが使えるようになるまで、誰か誘ったり、希望する人を募るなりして、じわじわ広がっていったらいいな、と思います。
作品は、アラビックヤマトのりで貼り付けてます。これが一番目立たず、はがれず、しかもはがしやすい、と思う。
作品は持参じゃなくて郵送で!@Homeキャンペーンなので(笑)。
もしアーティストさんが参加してくれるようなら、アートフル・アクションのHPで作家さんと作品の写真とURLを紹介できたら、作家さんの励みにもなるかな、と思ったりします。
どうでしょう?
Haruka Moriyama 16:58
私は個人的に三脚そのままでも面白い気がします笑
みやした 16:58
わたしも!
花よりいいよ
犬ね(以下、参考)
Haruka Moriyama 16:59
花もいいですよ(犬)
外から目合わせたい。
みやした 17:00
伊藤アイデア、いいと思います。郵便屋さんの負担にならないように、大きすぎるのはダメかな。あと、ビニール手袋でも買おうか。
郵便屋さん、悪者みたいに言われて気の毒です。
17:02
伊豆の姪っ子たちに手紙書いていますが、3軒しかない山の中。ウチのために山に登ってくれる郵便屋さんに日々感謝。
いとう 17:06
郵便屋さんも、彼らのほうこそいつさらされてるかわからない中みんなのために配達してくれてるのにね、本当に気の毒です。
角4(だっけ?A4が入るやつ)までで送れるもので、窓にノリで直接貼っていいものってことでどうでしょうね。
増えるたびにHPとFBにアップですね。FBにアップしたら反響あるかな。
まずは口コミかな。身近な方からいけるといいな。はるかちゃん、まずはどうですか?
あと花の足跡とかかな(笑)
みやした 17:07
笑
いとう 17:07
脚立は出しときます(笑)そのうちなんか貼りたいね。
みやした 17:07
脚立ok!!
Haruka Moriyama 17:09
もし宮下さんの机と椅子がセットされたら、私もいつか夜中にその上に何か置きに行きたいです。もちろん消毒します。
みやした 17:36
はい!
今こそ大木さんの油絵を置こう!
油絵も、だな。
M. Ishii 17:46
そう言えば、こらぼで使うつもりだった木が置きっぱになってまして、良ければご自由にお使いください
みやした 17:47
いいね!
M. Ishii 17:47
脚立に自由を奪われた謎の生物みたいになってる…
いとう 18:03
この木、そそるよねー笑笑
みやした 18:07
つるせるかな?
いとう 18:53
Enjoy Artsでいいのかな?なんか作品鑑賞だけの意味になっちゃう?アートっていうそのものを愉しむっていう意味だったら、Artかな?
みやした 19:03
レッツ?
いとう 19:06
?
Haruka Moriyama 19:18
窓って言葉とか入れても良いのかなと思いました。
みやした 19:19
let’s enjoy art ダサい?
Haruka Moriyama 19:24
ハッシュタグにしたい感じですか?
みやした 19:28
ハッシュタグ有りでいいと思うよ。
fbとかで広報した場合に引っかかりやすいよね。でも、この教科書みたいなタイトルでいいかどうか?letsにはこだわらないよ。
Haruka Moriyama 19:31
ちょっと私はこのプロジェクトがenjoy artっていう言葉で表せるのか、少ししっくり来ないですが、引っかかりやすいし、分かりやすくはありますよね。タイトルだけで少しは予想できますもんね。それ大事ですね。
みやした 19:32
ああ、でもどう表現したらいいか、ぜひ聞かせてください。lets enjoyだと平時だね。
M. Ishii 19:35
ストレートに「窓に飾ろう」とか「窓を飾ろう」とかでもいいかな~って思いました。
シャトーに送ってもらうのもだけど、自分の家の窓も飾ってみようとか。
みやした 19:36
うん、うん。自分ちの窓に貼るのを促すのもいいよね。
いとう 19:38
そうなの。単純にエンジョイじゃないのよね。でもhomeは入れたいんです。
M. Ishii 19:38
貼った写真を送ってもらったり、アップしてもらったり、誰かの窓に貼ったお花に、自分地の窓に蝶々貼って止まりに来た感じで並べるとかもできるかなって
いとう 19:38
このスレッドに返信しました :
ストレートに「窓に飾ろう」とか「窓を飾ろう」とかでもいいかな~って思いました。…
そうそう、シャトーの窓は、あくまでそのきっかけ。
Haruka Moriyama 19:39
Homeを入れたいのは何故ですか?
いとう 19:39
お家ですごそうです。あとね、いま、自分にとってのHomeを見直す機会なのかな、と思って。
みやした 19:42
うーむ。家のない人、家族のいない人がリラックスできることが大事じゃね?
M. Ishii 19:42
そうですね。
でも、Homeが切なかったり、厳しかったり、辛いこともあるしね。
いとう 19:56
でも、こういう活動って「みんな集まろう」と呼びかけてる先入観がある人が多いから、「この時期になんたる不届き者:怒り:」という反応をする人が必ず出ると思うんです。
Haruka Moriyama 19:57
もうちょっと私も何故しっくりこないか考えてみますねー。
ハッシュタグで
#LoveFromHome
#StayHome
#うちで踊ろう
みたいなのがどんどん出てきてるので、うーんと最近なってて。
みやした 19:59
:怒り:は出てもいいんじゃない?
全てにokってのはありえないし、むしろ、ピンチの人はどちらかと言うとマイノリティの人の方が過酷だし。
いとう 20:02
でも、この間の mtgでも、出ることを促すことにならないように、ということだったわけで:怒り:だけならいいけど、気軽に出てくることを促すように捉えられるのはまずいですよね。
一方で、過酷な状況の人たちにとって、ほんのちょっとでも救いになれたらいいと切に思うし。
Haruka Moriyama 20:06
丁寧に伝えていけばそういう事態にはならなかったりしませんかね?
あと私はartって付いてるとこにもしっくりきてないので考えます。個人的には石井さんの「窓を飾ろう」っていうタイトルも良いなと思いました。
シャトーの窓とも取れるし、家の窓ともとれるし
みやした 20:07
うん、気軽に出てこないってことと、矛盾しないと思うよ。
今、金も仕事も家族もいない一人ぼっちの人にホームはきついだろうなって感じる。これは一般論ね。全然話は違うけど、このやりとり、みそ!にアップしたい。
いとう 20:32
みそ!にアップ、賛成です。
Haruka Moriyama 21:11
みそにのせるの良いですね!
色々ハッシュタグ見てましたが、Stay home だけじゃなくStay safeていうのだと、色々な人が当てはまって良いかもなと思いました。
17:22
Enjoy Arts @ Home!! 今日は4月30日。明日から5月ですね。 これまで、アートフル・アクションや、はけ […]
Enjoy Arts @ Home!!
今日は4月30日。明日から5月ですね。
これまで、アートフル・アクションや、はけの森カフェでワークショップをしていただいている、下中菜穂さんから、今日4月30日に行われる、「天道花」という素敵な行事を教えていただきました。
+ + ++ + ++ + ++ + ++ + ++ + + +
「旧暦カフェ」では「集う」ことの楽しさ大切さを実感してきましたが、
コロナにそれを封じられてしまったことは、まことに残念至極。
それでも、、、今までやってきたことを、それぞれの場所でやってみて
報告し合うのはどうかしらと思い立ちました。
初めて参加の方も以下を参考にしてみてください。
■旧暦カフェ 昨年の卯月八日の天道花
「旧暦カフェ」の自習版です。
それぞれの「旧暦カフェ」
卯月八日の天道花
来る4/30は旧暦では卯月八日です。
この日には、高い竿の先に野山の花束をくくりつけて掲げる
「天道花」の行事が行われてきました。
これは1年間の農事が始まるこの時期に、
山から神様を招来するための「めじるし」です。
今、コロナ禍による「忌籠り」のただ中にあっても、
都会のコンクリートの隙間にも、フェンスのの足元にも
春の息吹がいっぱい!
その精気を体いっぱいにいただくこと、
それがこの行事の意味なのかもしれません。
離れていてご一緒できないのは残念だけど、
それぞれの場所で、そこで手に入るもので工夫して
「天道花」をやってみませんか?
+ + + + +
・・・ということで、シャトー2Fのギャラリーの窓に、この状況で役目を果たすことのできなかった、色とりどりのフライヤーを使って、紋切りで「天道花」を作ってみました!
ぜひ、おうちの窓でも「Enjoy Arts @ Home!!」
12:23
初めての試みだった「ONLINEえいちゃんふぇす」を終了してから、約一ヶ月が経ちました。この間、緊急事態宣言が出されるな […]
初めての試みだった「ONLINEえいちゃんふぇす」を終了してから、約一ヶ月が経ちました。この間、緊急事態宣言が出されるなど、これまで当たり前の日常と思っていたあらゆるものの在り方が問い直されています。
えいちゃんくらぶも、今年度の活動にむけて、今できること、今だからできることを始めようと、絶賛準備中です!!
メンバーの皆さんに、近況をうかがったところ、昨年度の作品をもっとブラッシュアップすべく編集に取り組んでいる方、すでに新作を作ってYouTubeにアップされた方、これから制作に本腰を入れるべく機器の充実を検討されている方、一方で自粛疲れの中、映画鑑賞や映像制作を通じて、ONLINEでコミュニケーションしたい、と思ってらっしゃる方・・・など、いろいろな現状を教えていただきました。
えいちゃんくらぶは、おおむね70代以上の方を中心に活動していることもあり、当面直接集まることは難しいことを考えると、やはりONLINEをうまく活用していくことが求められると思います。そして、ONLINEでのコミュニケーションに取り組むことは、また、これまでも潜在的に存在していた、高齢者の孤立の問題にも、微力ながらアプローチできるのではないかとも思います。
一方で、ONLINEの流れに乗れない方たちも確実に存在し、そのような方々が取りこぼされ、取り残されていくことは大きな課題です。そして、アナログでのコミュニケーションにしかできない大切なことも、確実に存在します。
今年度のえいちゃんくらぶでは、ONLINEでのコミュニティとアナログなコミュニケーションをちゃんぽんした活動を目指します!構想はどんどん広がっています。
08:36
友達が写真を送ってくれました。 東大の技官さんが3Dプリンターで作ったマスクとのこと。 医療・看護系のネットワークを活か […]
友達が写真を送ってくれました。
東大の技官さんが3Dプリンターで作ったマスクとのこと。
医療・看護系のネットワークを活かして今現場の友人にサンプルを送ってフィードバック待ちです、とのこと。
限界があるよね。
自分でできることってなんだろうね。
森山企画で、海外在住のアーティストと、ネットを介してディスカッションする、みたいなことも検討中。
大木裕之の小学校で撮った映像をみながら、LINEで皆でディスカッションとかね。
1 or 0 (変な顔みたい)ではなくてね。国や地方自治体だって働いているのは人間。
まずは、よく笑って免疫を高めよう、罹患した人を悪者にするのはやめよう。
00:55
2019年度に始まったpen友プロジェクト。 なぜ、この営みを始めるのか、アーティストの呉夏枝さんとプロジェクトの担当者 […]
2019年度に始まったpen友プロジェクト。
なぜ、この営みを始めるのか、アーティストの呉夏枝さんとプロジェクトの担当者と、それぞれの考えていることを寄せ合ってみました。
その経過を、今年度につなげるために小さな冊子を作りました。
一言で越境といっても、境を形づくる様相は様々です。時代も社会も。それぞれの出来事に心を寄せ語り合い、そしてまた新しい道を見いだすためにも、まず、私たちの感得しうる様々な境の相について考えてみたいと思います。
pen友プロジェクトは波間の船なのかもしれません、が、たくさんの人たちの多様な関わりの間で細い糸が幾重にも重層し織られていくことで複雑で豊かで太かったり細かったりの、ユニークな糸が紡がれることになるでしょう。
冊子は英語版を合わせてみていただきます。
21:50
何年もこの街でいろんな活動をしてきました。 ここ数週間、私は、私たちは3.11の、あの時に何を学んだんだろうと考えていま […]
何年もこの街でいろんな活動をしてきました。
ここ数週間、私は、私たちは3.11の、あの時に何を学んだんだろうと考えています。
あの時、アートフル・アクションでは、当時の事務局長の佐藤さんが、帰宅困難者のためにシャトーを開こう!と決めて、水や食べものを用意し、アナウンスしました。
物理的に場をひらけた当時と違って、今回はどうやって場を開いたらいいんだろう。
石井さんと伊藤さんと、後から森山さんと、いろんな話をしました。
森山さんとは、『サラエボ 旅行案内』みたいなものを作ろうよって。
伊藤さんは、<ちょっとお手紙プロジェクト>のアイデアを取りまとめてくれました。
石井さんは、いつでもいつでも、いろんな思いつきを後押ししてくれます。
『サラエボ でゴドー‥』だな。
孫引き。
山口昌男氏は、記号学の研究者であり小説家でもあるウンベルト・エーコ氏の言葉を引用して、「文化は危機に直面する技術」であるという考え方を紹介している。
もう少ししたらアップする2019年度の活動の振り返りのPDFからお読みいただけます。
明日には、まずは、<ちょっとお手紙プロジェクト>のご案内を申し上げます。
13:15
ONLINEえいちゃんふぇすもあと2日となりました! あるメンバーの方は、おうちの事情でなかなか外出がままならない状況の […]
ONLINEえいちゃんふぇすもあと2日となりました!
あるメンバーの方は、おうちの事情でなかなか外出がままならない状況の中、何とか時間を工面してえいちゃんくらぶに参加されています。ほとんど家から出られないのですが、いや、だからこそともいえるのですが、ベランダからみえる風景の些細なうつろい、カーテンの揺れる様子、影が流れるさまなど、普段気にも留めないような繊細な動きを、映像に収めてきました。
他のメンバーさんも、ほとんどが、お家の中にあるものや、おうちの中で起きる出来事を映像にしています。皆さん口をそろえて「ただ撮っただけなので」とおっしゃいますが、何でもないと思っている日常を映像として切り取ることで、普段感じることのない感性が刺激されます。
みなさんも、自由な外出ができにくい今ですが、こんな時だからこそ、普段は見ていないようなことにカメラを向けてみると、気づかないものに気づくことができるかもしれません。それは、この状況が落ち着いた後にも続く、日常のちょっとした豊かさにつながるかもしれません。
不安や不便ばかりが取り沙汰されがちですが、メンバーの皆さんの作品や、トークの内容が、皆さんの日常を豊かにする、ちょっとしたヒントになったらいいな、と思います。
17:20
コロナウイルスの影響で、2月29日、3月1日に予定していたえいちゃんくらぶの作品上映会「えいちゃんふぇす2 ~草の根から […]
コロナウイルスの影響で、2月29日、3月1日に予定していたえいちゃんくらぶの作品上映会「えいちゃんふぇす2 ~草の根からの芽吹き~」は中止になりました。
でも、そんな状況だからこそ、チャレンジできること、そして映像制作ワークショップ「えいちゃんくらぶ」だからこそできる表現の場として、「ONLINEえいちゃんふぇす」を開催できないかと画策中です!
今回は社会全体が日常生活を制限されている状況ですが、今後も、例えば災害のように、地域全体におこりうる不測の事態、また、病気や事故、高齢化や介護など、個人的な出来事によって思うように身動きが取れなくなることは、いつでも、だれにでも起こりうることです。
そのときに、ネット環境さえあれば、いつでもどこでも誰かとつながることができる、心が豊かになる何らかの表現に触れることができることは、若者だけでなく、様々な世代の人にとっても、場合によっては生きる支えにもなりうるのだろうと思います。
実際に、えいちゃんくらぶのメンバーさんの中にも、介護中心の生活で、自由な外出がままならない方がいらっしゃいます。その方は、おうちの中で、夏の盛りにベランダでグラスの氷が解けるさまや、ベランダから見える地元の夏祭りの打ち上げ花火、洗濯機の回るさま、また、ぶれた昔の写真を加工しなおして、観る人の心をくぎ付けにするような作品を作られました。映像という未知な表現手段に出会い、夢中になって次々と作品にチャレンジされている彼女の姿から、「自分を生きる」って素晴らしい、と感じます。
窓ガラスには「あそび」の隙間が作られていて、もしこの「あそび」がなければ、ガラスはちょっとした衝撃や気温の変化でたやすく割れてしまうんだそうです。人の心だって、「あそび」がなければ、時には壊れてしまうかもしれない。
社会の中で不測の事態が起きた時、芸術文化事業はとかく後回しにされがちです。でも、そんな時だからこそ、芸術文化が人々の癒しや支え、明日への生きる力にもなりうるでしょう。今回、映画や書籍なども、次々とネット上での公開がされていることは、素晴らしいことだと思います。
22:36
コロナウイルスの影響で、小学校でのワークショップが中止になりました。 スライムを使って、算数の授業を、というプログラムを […]
コロナウイルスの影響で、小学校でのワークショップが中止になりました。
スライムを使って、算数の授業を、というプログラムを1年間かけて考えてきました。
そこで、私たちが何をどのように考えたのかをきちんと整理して次に繋がるアイデアを見出そうと考えています。
まず、1年間やりとりをしたメール全てを出力し、人名、本、出来事、参照事例、メタファー などなどを、このプロセスに参加していなかったスタッフがマインドマップを作成しています。
様々な結節点、クロスするだけでなく、3次元、4次元に、アイデアがクロスしたり一つのアイデアが次のアイデアを生む、ある事例から、全く違うアイデアへの飛翔が起こる、そんなことを再現すべく整理を試みています。
結節する地点、たとえば、『コケの自然史』という本、コケの持つ機能と形態、コケはフラクタルなのか?とか。あるいは、微細なものを拡大してみたらどんなふうに見えるのか、と、森の中のコケの働き、とかね。どんどんイメージは広がる。そんな対話は刺激的。
マインドマップは重層的なルートを多次元に辿って、たくさんの不定形の変化するその時々の多解釈可能な「解」を見せてくれる。授業ができたらよかったなあ。
14:57
心底に、すごい本だなあ、と思います。 『あいたくて ききたくて 旅にでる』(小野和子) Pen友プロジェクトは、互いに海 […]
心底に、すごい本だなあ、と思います。
Pen友プロジェクトは、互いに海を渡った人どうし、海を渡らなかった人と渡った人、様々な人たちが入り交じりながら、言葉を交わし合い、それぞれの経験を、他者の経験を持って照らし出そうとするものなのかもしれません。
「移民」といった言葉が飛び交いますが、ことさらに、国籍や世代にこだわるものではなく、むしろ、異なる人の経験に出会うこと、そこに広がる世界に思いをはせること、を試みるものなのかもしれない。
ただ、アートプロジェクト、なるものの中にある、「私」を探す旅、をすこし(かなり?)離れて遠くから見ること、直接に出会うことや本物、その場に居合わせる、などという言葉に込められた「直接性」ではなく、誰かから聞いた言葉を別の誰かが聞き直す(深い共感を持って)、あるいは文通、といった間接性に、むしろ瞬間のリアリティがあるようにも思う、この頃。
体験することができなかった様々に、全身の力を傾けて思いはせること、そこにある親密に想像すること、が、直接的な対話や接触よりも、より他者の近くに立つことができるような気がする。また、実験。
このことを考え続けるためにに、この、『あいたくて ききたくて 旅にでる』は、とても大きな何か、を指し示してくれるように思います。
09:44
突然ですが、私の夫の母は昔じぶんの家で文庫をやっていて、夫実家にはいっぱい本があります。 夫の実家を年末に大掃除して、竹 […]
突然ですが、私の夫の母は昔じぶんの家で文庫をやっていて、夫実家にはいっぱい本があります。
夫の実家を年末に大掃除して、竹内敏晴やチェーホフの古い書籍が埃かぶってたくさんあって、いたく感動してしまいました。
本との出会いにも、人の出会いと同じように、出会うタイミングに出会うべくして出会うというか、そういう不思議なことがあるような気もしています。
まあそれは置いといて。
テレビで見た障害者の話しぶりが、私の目にやきついています-一つのことばがからだの中から生み出されてから、不十分な音声と化して出てくるまで、どれほど全身が必死になって動き、ふくらみ、そして切り開くとでも言うよりほかない激しさで突出してくるか。
武満徹氏に「吃りのすすめ」という文章があります。<自分を明確に人に伝える一つの方法として、ものを言う時に吃ってみてはどうだろうか><どもりはあともどりではない。前進だ。どもりは、医学的には一種の機能障害に属そうが、ぼくの形而上学では、それは革命の歌だ。どもりは行動によって充足する。その表現は、たえず全身的になされる。少しも観念に堕すところがない。>
これはすてきな発想だと思います。私がかつてそうだったような、こえの出ない人間にとっては、侮辱ととられかねない提案ではあるけれども、私たちのことばが、いのちの証でないことが多すぎる。
われわれは歪んでおり、病んでいる。スラスラとしゃべれるものは、健康という虚像にのって踊っているにすぎますまい。からだが、日常の約束に埋もれ、ほんとうに感じてはいない。そこから脱出して、他者まで至ろう、からだを劈こう、とする努力-それがこえであり、ことばであり、表現である、とこう言いたいのです。
(中略)
たぶん、方法を支えるいちばんたいせつなことは、子どもが、この場では何をしてもいいのだ-間違ってても、ワルイことでも、自分の内に動いたことなら-と感じる信頼感だろうな、と。凍ったノドをとかしたのは根的にはそれだったのでしょう。
「ことばが劈かれるとき」竹内敏晴 ちくま文庫
ことばとからだを通して表現を考える、という事をみんなで考えてきたのですが、ことばから見た表現、やからだから見た表現、というより、そのつながりや微妙なずれ、もっと複雑に絡み合っている、そのありようから人が表現することを考えたい気がしています。竹内さんが言うように、からだや命の証が、ことば、声であり、表現だとしたら、なにかをつくること、あらわしてゆくことはやっぱり生きることそのものだともいえるかもしれない。
饒舌じゃなくていい。上手にできなくてもいい。どもったっていい。
けれど全身をふるわせ、自分が本当に心で思うことをおずおずと声にしてみること。そういうことが展開されていくといいな、と思います。
そのために、自分の内に動いたことなら、何をしてもいいと思えること、そういう信頼感のある場をつくっていくこと。
15:47
12/24は、今年最後のアートの時間でした。 工房の階段の踊り場には、職員の皆さんが、利用者さんの作品を素敵に飾ってくれ […]
12/24は、今年最後のアートの時間でした。
工房の階段の踊り場には、職員の皆さんが、利用者さんの作品を素敵に飾ってくれてプチギャラリーとなっています。
今回伺うと、先週作ったクリスマスリースと、他の時間でみんなでコラージュして作ったクリスマスツリーが展示されていて、とても素敵なスペースでした!
16:20
色んなひととプロジェクトをすることは愉しい、たのしいと思います。 誰かと何かをやることは、自分の思うようにいかないことも […]
色んなひととプロジェクトをすることは愉しい、たのしいと思います。
誰かと何かをやることは、自分の思うようにいかないこともあります。
自分ばっかり色々なことを背負っている気になって、もう嫌だ、何もしたくないうおーんとなることもあります。
分かり合えないしんどさに、誰とも話をしたくないときもあります。
だけど、思いもかけないような人が思いがけないタイミングでパワーを発揮したり、へこんだとき、思いもよらぬ言葉ややさしさにに救われることがある。
自分の想像しえなかった瞬間が生まれるとき、ああ本当にこのプロジェクトに関わってよかったと思うのです。
少しずつ身体の細胞が生まれ変わっていくように、色んな人に出会いながら、色んな事を話しながら、
わたしの一部がちょこっとずつ入れ替わっていくような、そんな予感がするのです。誰かとプロジェクトをやるといつも。
明確な目的やゴールではなく、行きつ戻りつもあり、ややこしさもあり、面倒くささわかりにくさももちろんあり、
けれど、その中で出会う一瞬のきらめきやスパークに助けられ、なにより私自身が色んな事を教わっているような、いつもそんな気がしています。
事務局はほんとうに役得です。
12:04
私に見えることなんて、ほんのささやかなこと。 足の下の葉っぱの陰でどんな営みがなされているか、遠い海の向こうで、誰が海を […]
私に見えることなんて、ほんのささやかなこと。
足の下の葉っぱの陰でどんな営みがなされているか、遠い海の向こうで、誰が海を渡ろうとしているか、あるいは、隣のお宅にどんな喜びがあるのか、とかね、何もわからない。
でも、すくなくとも、自分には見えないのだ、ということはわかる。
さらに、でも、この時代に、見えないところで人々が何を喜び何に苦しんでいるのか、心を寄せることのできる人でありたいとも思う。
こんな時代だからね。立ち尽くすだけかもしれないけれど。
フランシス・アリスの「川に着く前に橋をわたるな」のことを思い出した。アーティストの営みは、時に不条理なのだけれど、でも、説明でもなくドキュメンタリーでもなく、ある感情、直観に訴えかける力を持つ、ことがある。時にユーモアの力を借りて。
向こう側にあること、みえないこと、を見る。
と言うことなのかな?
それから、『植物と叡智の守り人』と言う本を最近に。須之内さんに教えてもらった。
臨場感(笑)。
遠くから見るとただの緑や茶色の塊の森。でも、Powers of Ten みたいに、近寄ってみたり掘り下げてみたりしたら、見えるものはどんどん変わる。
そして、もしかしたら、とても大切なことは、大ー小へのズームインやズームアウトだけでなく、そこに他の植物や生き物との相互関係、人間の営みとの関係が織り成されていると言うこと。4次元だな‥。
これは、これから小学校で実施するスライムを使った算数とも繋がる。
始動。
17:19
今年のこどもたちとの学校連携プロジェクトでは、造形そのものを楽しむ、というより、 造形を通して、経験や思索を深めたり、普 […]
今年のこどもたちとの学校連携プロジェクトでは、造形そのものを楽しむ、というより、
造形を通して、経験や思索を深めたり、普段とは異なる視点で物事を見てみたり、自分なりの世界の捉え方を見つけたり、そんなことを考えています。
本町小では、図工のコンピューターを使わないプログラミング
前原小では、算数の時間にスライムを使って、その素材と向き合った発見を構造化してみる、ということをこころみます。
ふと思い立って本日事務所でも実験。イスのへりにスライムを置くと、自重でゆっくり垂れてのびてゆきます。
じっと見ているだけでも色んな発見があります。最初はゆっくり伸びて行って、伸びて行けばいくほど早くはやくのびてゆく。
のびたスライムは切れることはなく、空気に触れて固まっていく?このまま置いといたらどうなるかな。
まるでガラス細工のように、ダリの伸びた時計のように。
自分の身の回りの世界と全身で向き合い、そこから何かを見出して、そしてまた作っていく。
それはあたらしいことでも難しいことでもなんでもなく、自然と向き合い、何かを作り暮らしてきた人が生きるという営みなのだと思います。
さあて子どもたちと一緒にどんな発見に出会えるのか、今年も楽しみにしています。
19:18
本年度は、小金井市の二つの小学校の他、東村山市の小学校で、楽器作り+音作り、多磨全生園訪問の経験を造形を通じて深める、と […]
本年度は、小金井市の二つの小学校の他、東村山市の小学校で、楽器作り+音作り、多磨全生園訪問の経験を造形を通じて深める、という授業を行いました。図工科の河野先生と学校の先生方の展示は、とても力強いものでした。私たちは、二つの授業を振り返り、図工のもつ可能性をもう少し整理しておこうと考え、振り返りのトークを行いました。
ゲストに、ランドスケープデザイナーの廣瀬俊介さんをお迎えし、南台小学校の展示最中の(寒い(笑))体育館で、お話をいただきました。
その成果は、追ってニュースレターとしてお手元にお届けします。
以下、廣瀬さんが、ご自身のブログにアップされたスライドをご紹介します。
世界と身体全体と使って出会うこと、発見すること、親しみをもった理解の関係を築くこと、その一つ一つは遠回りのように見えますが、本質的でとても豊かなものです。
急ぐ必要はないのでしょう。
ニュースレターは、来年1月に刊行予定。どうぞお楽しみになさってください。
20:31
本日のかがわ工房の活動は「落ち葉のフロッタージュ」でした。毎年一回だけ、赤や黄色に染まったいろいろな形の落ち葉をたくさん […]
本日のかがわ工房の活動は「落ち葉のフロッタージュ」でした。毎年一回だけ、赤や黄色に染まったいろいろな形の落ち葉をたくさん集めて、紙の下に敷いて、好きな色の色鉛筆やクーピーでこすり出してカラフルな葉っぱを作ります。
こすり出した葉っぱは、切り抜いて台紙に貼って再構成することが多いのですが、今日は工房に向かう途中に閃いて、画用紙を丸めたり折ったりして立体にしたものに貼ってもらうことにしました。
メンバーの皆さん、もう何度かやったことのある人は、迷うことなく、カラフルな葉っぱをこすり出していきます。あまり慣れていない人も、スタッフさんのサポートで、カラフルな葉っぱをたくさん作れました。ある程度でき、メンバーさんも満足してきた頃に、円柱、三角柱、三角錐、変な形の台紙の中から好きなものを選んで貼ってもらいました。
素敵な作品ができました‼️
14:44
「えいちゃん遠足」 11月9日(土)、えいちゃんくらぶのメンバー有志3人と、途中からサポートメンバー1人、角尾さん、伊藤 […]
「えいちゃん遠足」
11月9日(土)、えいちゃんくらぶのメンバー有志3人と、途中からサポートメンバー1人、角尾さん、伊藤で、映画「描きたい、が止まらない」バリアフリー上映会 in 品川 古久保義満さん、近藤剛監督トークに行ってきました。
おうちの事情で普段なかなか遠出が難しい方、いつもは車で出かけるので電車にはなかなか乗らない方もいらして、行きの電車から何となくウキウキして会話も弾み、品川・青物横丁の会場まであっという間につきました。
会場は、10月にオープンしたばかりの総合障害者福祉施設です。その地下にある、劇場型の多目的ホールでの上映でした。
主人公の小久保憲満さんの、絵を描くことへの思いや日々感じていることについての語りは、どんな人も少なからず抱いている思いを素直に表現していて、とても心に響きました。
メンバーの皆さんも、感じるところがたくさんあったようで、「来てよかった」とおっしゃっていました。
上映会終了後、ドトールでお茶をしながら、感想をシェアしました。メンバーの皆さん、まだえいちゃんくらぶに参加してから数か月なのですが、「エンドロールを見て、たくさんの人が関わっていて意外だった」「この映画で伝えたい目的は何だったんだろう?」「監督の意図は?」「そうだとしたらこのシーンはこうした方がよかったのではないか?」などなど、映像制作に関する鋭い意見、感想がたくさん出ていました。「えいちゃんくらぶを始めてから、映像の編集の仕方が気になって、考えながら見るようになりました」とSさん。物の見え方って、問題意識を持つことで広がっていくんですね。
今後、本格的に映像制作に入る前にこの映画を見に行くことができて、とても参考になりました。また、皆で遠出をしたことで、たくさんお話もでき、お互いの距離が縮まるよい機会となりました。
これから、皆さんの作品がどのようになっていくか、楽しみです!
21:33
京都芸術センターで、グループ展『ケソン工業団地』(展示)を見る。 越境って、なんだろう? 何のために超えるんだろう? 超 […]
京都芸術センターで、グループ展『ケソン工業団地』(展示)を見る。
越境って、なんだろう?
何のために超えるんだろう?
超えた結果、そこに何が見えるのだろう?
展示の紹介には、
ケソン工業団地は、朝鮮民主主義人民共和国が土地と労働力、大韓民国が資本と技術力を提供して形成され、南北双方の人々が共に働く特異な場として2004年から10年以上にわたって操業されていた。しかし現在は両国間の政治的緊張のため2016年より閉鎖されている。
2018年の夏、文化駅ソウル284で開催された展覧会「ケソン工業団地」は、ケソン工業団地を外から見た大きな経済の物語として語るのではなく、そこで日常生活を送っていた一人ひとりによって築かれていた親密なコミュニティにフォーカスし、ケソン工業団地の新しい肖像を描こうとする企てであった。その展覧会から、3人のアーティストによる作品を京都で紹介する。
ケソン工業団地の本質的な意味は何だったのかを問いかける。越境が可能な限られた時間の中で南北の人々の交流が育んだ種は、いかに未来へ開かれてゆくのか(省略)。
とある。
最初の展示室にある工業団地を俯瞰した写真に移る団地。何かを超えて、ここに到るのだろうか?
もう一つ、
もし、これが、いわゆる写真展だったらどうだろう?
圧倒的な不在は圧倒的な存在の照り返しだ。その、圧倒的な存在は、いわゆる同じ画角のパネルが並ぶ説明、では浮かび上がってくることは難しそうだ。
遠くに声が聞こえてくる気がする。躍動や輝きや、懸命に働く足音が聞こえる。たくさんの喜びや時に悲しみや願いも聞こえる。
止まった日付が生々しい。その生々しさを相対として抽象し、普遍的な表現に持っていくこと。理由、ではなく、意味そんなことを考える。
今回の展示は韓国での展示の一部分であったようだ。全編をみてみたいと思った。
その時、さて、どこで?とも思った。そうだな、この展示は、ここで見るのにふさわしいとも感じた。
09:19
こういうライブを野や山で、シャトーの地下でやりたい。 Andy Akiho、呼んだらきてくれないかな。
こういうライブを野や山で、シャトーの地下でやりたい。
Andy Akiho、呼んだらきてくれないかな。
09:01
今年度、越境プロジェクトにいらしていただく呉夏枝さんの、車屋美術館での展示。 呉夏枝(お・はぢ) 手にたくす、糸へたくす […]
今年度、越境プロジェクトにいらしていただく呉夏枝さんの、車屋美術館での展示。
残念ながら、台風でオープニングのトークが中止になってしまいましたので、今日改めてまた(笑)雨の中、北関東に。
この美術館は3度目ですが、前回はthe北関東のランドスケープの持つ光と影にやられた(笑)って感じだけれど、今日は瓦屋根に降る雨やくすむ遠くの山並みがとても美しく思えましたー。寒かったけれど。
それぞれの作品は彼女の出自と、それぞれの作品ごとに出自を負っているけれど、でも糸にたくされた思いが普遍の美しいかたちになって、そこに立ち上がっていました。
もう一つ面白いのは、影。糸は微かな風に揺れて、光を背に影をつくります。
11月の半ば、リサーチを始めます。
14:22
南台小学校で行っていた『発明楽器をつくろう』が終了しました。 全4回。 映像は実験中の様子。 音ってなんだろうね。 詳細 […]
南台小学校で行っていた『発明楽器をつくろう』が終了しました。
全4回。
映像は実験中の様子。
音ってなんだろうね。
詳細は追って。
でも、最後の日に伝えたかったのは、あなたの音はあなた自身、あなたの作った楽器はあなた自身、あなたの音や楽器を大切にしようってこと。それから、たくさん、打楽器が生まれたけれど、打楽器に隠れて、ささやかで美しい音を奏でる小さな音も生まれた。その音そのものを大切にしたい。こっちがいいからおいでよ、って言わない。ひたすら待つことの豊かな時間。
14:12
図工から身のまわりの世界へ −東村山市立南台小学校 展覧会によせて 南台小学校では、2019年度に展覧会として、1年生 […]
図工から身のまわりの世界へ
−東村山市立南台小学校 展覧会によせて
南台小学校では、2019年度に展覧会として、1年生から6年生の図工や家庭科の作品の展示を行ないます。図工では、学校内だけでなく、美術館や地域の博物館、資料館、市民団体などと連携し、多様な活動を展開した成果を展示し、保護者の方やお友達、他学年の児童と鑑賞します。
私たちは春に行った多磨全生園の見学を造形を通して深める活動を振り返りる会をおこないます。ここでは、この活動を「評価」するのではなく、これらの活動を踏まえ、改めて今日の社会での図工の持つ可能性を探り、育てていくための方途を皆で考えてみたいと思います。
子供達が造形する過程では、対象について知ろうと能動的になること、一人一人が物事をそれぞれに深く考えたり、植物や水、土、石、布、木材に始まるあらゆる素材の重さや質感、匂いにまで鋭敏に感じ取ることになります。この多様な素材はそれぞれの表情を持ち、子供一人一人がそれぞれ目的や素材に合った加工の方法も深く工夫することになります。このことは、身の回りの世界との関係を自分自身の目や身体で新たに作りなおすこと、あるいは身体全体をセンサーとして開き、自分を取り巻く世界や他者を感じることにつながっていきます。
今回の振り返りの会では、このような図工の可能性を再確認しつつ、造形を通して新しい眼差しで身の回りの世界をとらえること、世界や自分自身とつながること、あるいは自分をとりまく世界との出会いにふと立ち止まりその出会いの意味を考えること、ひいてはとりまく世界のありよう自体を問い、世界に対する働きかけをも育む図工の今日的な可能性と必要性について、風土を主題に設計活動を行うランドスケープデザイナーをゲストに招きともに考えます。
日時:2019年11月30日(土)17:00-18:30(予定)
場所:東村山市立南台小学校 体育館 (住所 東京都東村山市富士見町1-16-12)
ゲスト:廣瀬俊介さん(ランドスケープデザイナー)+授業に参加した市民のみなさん
参加費・申し込み:お問い合わせください
ゲスト
廣瀬俊介(ひろせしゅんすけ)さん
環境デザイナー (International ASLA)、専門地域調査士 (日本地理学会)、風土形成事務所主宰、東京大学空間情報科学研究センター協力研究員。2014年3月まで東北芸術工科大学大学院 デザイン工学専攻環境デザイン領域 准教授。日本地理学会会員、東北地理学会会員、日本景観生態学会会員。東日本復旧復興計画支援チームメンバー。主著『風景資本論』。
19:22
昨日はまちはみんなのミュージアム1回目でした。 一回目の活動から宿題を出すというスパルタ(?!)ながら、みなさんすごく面 […]
昨日はまちはみんなのミュージアム1回目でした。
一回目の活動から宿題を出すというスパルタ(?!)ながら、みなさんすごく面白いものを持ってきてくださいました。
日記を1日以上書いてくるという大崎さんの宿題と、砂連尾さんのまちで気になる場所を撮ってくる、という宿題。あまり意識していなかったのですが、日記と写真が連動してきた方がいて、それはとても面白いと思いました。
終了後のミーティングのなかで、3月にアートウィークスの方向についての話がとても印象に残っています。
まちなかで何か表現をするとしても、フェスティバル化していくより、ささやかな、ひとりでも表現をしてもいいよ、という内なる世界への豊かさにつながること、連帯ではなく、動員でもなく、もっとそれぞれの可能性が拡張することを考えられないか、というお話が砂連尾さんからありました。
それは、このグローバリゼーションのなかで疎外されている身体(自分とのつながりでもあり、他者との)とのつながりを取り戻すことでもあり、この瞬間あることへのリアリティを取り戻すことにもなるかもしれません。
なんというか、それぞれのその一瞬のたしかさのなかにそっとたちあがる、「まちはみんなのミュージアム」が織りなすその風景を、私は見たいなと、それはきっとすてきだろうな、と思ったのでした。
さあどうひらいていこうか。たのしみです。
00:11
明日は、アートポイントの事務局のみなさんの前で事例紹介を行います。テーマはこのHPの日報のシステムについて。 子どもが眠 […]
明日は、アートポイントの事務局のみなさんの前で事例紹介を行います。テーマはこのHPの日報のシステムについて。
子どもが眠ったあと、明日の資料をもう一度見直しているうちに、もうこんな時間です。
考えてみると、この日報もできてから2年以上経つんですね。私が産休ギリギリまで関わらせてもらったのがこのプロジェクトでした。
わたしにとって、大きなおなかで打ち合わせに向かったり、関わってくださった学生さんに生まれるのが楽しみと声をかけてもらったり、妊婦の時の思い出と日報のプロジェクトは重なっています。
どんなHPを作るか、ということより、まずは私達の団体として、何を残したいか、何を大切にしたいかを、須之内さんが繰り返し問いかけてくださったことが印象に残っています。そして外部の人がプロジェクトのどんな情報を見たいと思うか、どうまとまっていたら見やすいか、という視点で小林ゼミの3名の皆さんが毎回会議に出て、すごく誠実に意見を出してくれました。
そんな話し合いの中で宮下さんから「日々がポリシー」という言葉が出て、私はとても素敵だなと思ったのでした。
本番だけじゃないんですよね。誰かと出会ったり、何かを考えたり、そういう日々の営みが、プロジェクトへつながっていく。
19:05
ボスかああ‥。 石原裕次郎だよ。(一定以上の年齢の方にしか通じません。すみません) 「いいマネジメントは、いいものをつく […]
ボスかああ‥。
石原裕次郎だよ。(一定以上の年齢の方にしか通じません。すみません)
「いいマネジメントは、いいものをつくるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」と言っていました。
と、荒田さんが書いてくれています。
ちょっと付け加えると?あるいは訂正すると、ですね、私はそう言ったのかもしれないけれど、
「いいマネジメントは、いいものが生まれるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」
って感じ。別に、私がそれができているってわけじゃないの。
私のエゴを皆が受け止めてくれている、優しい人たちに囲まれて。
采配ではないですね、采配なんてできません。おこがましい。
不特定の人がさまざまま思いを抱いてあるとき寄り集まり、また別れていく、その一瞬に出会うこと、その一瞬が豊かな優しいものであることを願い、そして、そこにいることの幸福を考えます。でもね、それもどんどん変わっていくし、出会いと別れの積み重ね。豊かな別れが豊かな出会いを産んだりね。
総合的に儚いけれどね。そして、皆さんの幸福を願う、ってことなんだよね。きっとね。
追加と継続。
11:57
最近インターンとして参加し出しました峯田です。 あんまりアートとか、NPOとかわかっていないけれど、もっと手軽にアート、 […]
最近インターンとして参加し出しました峯田です。
あんまりアートとか、NPOとかわかっていないけれど、もっと手軽にアート、のようなものに関われる未来を作りたい、と思って今回来ました。
とは言うものの、自分がここに関わっていることに未だ違和感を感じつつ。何もわからないゼロからのスタート。
しかしだからわくわくしている自分がいます。
ここまでの活動と言えば、武蔵小金井駅前でのビラ配り。荒田さんによると、小金井市の方々にこの事業の存在はほとんど知られてないんじゃないか、ってことで、今回認知の意味も込めて。
でも知らない団体のよくわからない活動って興味を持ってもらうのって難しいなあ。そもそも自分が何をやりたいんだろう?伝えたいんだろう?なんて迷いながらの勧誘なので、声も小さく。当然誰にも届かず、注意を向けられることも無いまま素通りされる。と、そこに写真を大きく印刷した荒田さんが登場。大きな声で「詩人と街を歩いたりダンサーと街で踊ったりしてみませんか」と言ってくれる。自分は配り役に徹する。そうすると、すごくやりやすくなった。今まで群衆として恐れていた目の前の人たちの、一人一人の顔が見えるようになった。相変わらず受け取ってはもらえないが、「わたしはあなたとコミュニケーションとりたいんです」ということをビラを渡すことで伝えられたらと思った。
そんなんで、後半10分ぐらいだけ自分でも声を出してみました。意外にやけっぱちの大声を出すことができて、ちょっと楽しくなりました。なんかこれも一種のパフォーマンスなんじゃないか、と、完全に自己満。これは何かと繋がっているのか?ここから何か始まるのか?わからないんですが、駅前でなんか言ってる人がいるなあ、とさざ波や波紋のような小さなものが誰かや、自分の中に生まれるのって面白いな、と思いました。
17:33
「小金井と私 想起の遠足」 に参加してくれた、Sさんが、ギャラリーでやっている企画展「正しい歪み方」を見に来てくれました […]
「小金井と私 想起の遠足」 に参加してくれた、Sさんが、ギャラリーでやっている企画展「正しい歪み方」を見に来てくれました。近況報告から、「想起の遠足」のときの出来事を少し話して。
「想起の遠足」のプロジェクトの中で、ある意味ほっとかれる部分があって、自分でやらなきゃと思ったとSさんは言ってくれました。また、あの時参加するのがとても楽しかったと。本当に素敵な人たちに恵まれたと。個人的にはできなかったこと、たくさんあるな、と思うのですが、そうやって言ってもらえるだけで、本当によかったなあ、と泣きそうになるほど嬉しかったです。昨日から失敗ばかりでへこんでいたので会えたことはとても私の救いになりました。
今、「まちはみんなのミュージアム」をどうやっていくかと考えています。今日Sさんと話して改めて強く思ったのですが、プロジェクトは人と人のなかで有機的に育まれて行くのだなと思います。メンバーもアーティストも私達事務局も、そしてまちのなかの人々も、このフィールドで、それぞれの人生のタイミングのなかでほんの一瞬集い、お互いに変容しながら、派生したり、曲がり角を曲がったり、また出会ったりしていくものなんですね。そういう色々な事も含めて、本当はプロジェクトなんだと思います。マネジメントなんぞしきれない、共にまなぶものだ、と思います。
昨日、われらがボス宮下さんは、「いいマネジメントは、いいものをつくるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」と言っていました。
まちはみんなのミュージアムの応募締め切りは昨日まででした。Sさんは、「新しくはじめるプロジェクトは、参加する人へのギフトとしてやってほしい」と言ってくれました。私にできることはなんだろう。やりたいと思ったその時、誰もが、きっと表現を楽しむことができる。その難しさをかみしめながら、けれど軽やかに、また楽しんでいきたいと思います。
20:17
メンバー募集のチラシまきを武蔵小金井駅周辺で行ってきました。 一緒に参加してくれた、伊藤さん、峯田さん、本当にありがとう […]
メンバー募集のチラシまきを武蔵小金井駅周辺で行ってきました。
一緒に参加してくれた、伊藤さん、峯田さん、本当にありがとうございます。本当に心強かったです!感謝!!
なかなかチラシは受け取ってもらえず。途中からこれまでのプロジェクトの写真を持ってきて、「詩人とまちを歩いてみませんか」と声をはりあげてみる。
遠巻きにこちらを見る人、近づいてきてチラシを見つめて、でも受け取らない人。面白そう、申し込むと言って帰って行った人もいました。途中道を聞かれて長崎屋に行きたいとおっしゃっていたおばあさんがいました。駅前の長崎屋は、もう無いんですと伝えながら、もう無い小金井の記憶を市民に聞いた三年前のプロジェクトを思い出していました。
道行く人に、どう声をかければ伝わるのか。何を用意すればもっと興味を持ってもらえるのかな。伝えたい相手をきちんと解像度をあげてイメージしてみることが大事なのかな、という気がしました。そうするとチラシの書きっぷりも声のかけかたも、どういう作戦をするのか、ももっと変わってくる。
あと、たった一時間半ですが、駅の前にいるだけで、どんな人が通るのか、見えてくるものですね。例えば、パンクロッカー的な格好をした人(死語?!)は殆ど出会わないし、スーツを着た人が多い。あと、私の住んでいる埼玉は駅の混むピーク時間は7時くらいだけれど、小金井の今日の様子を見たところもう少し早いようで。
文化政策を研究している伊藤先生が前に、いわゆるアウトリーチはホールから地域に出てプログラムをやる出前事業だけじゃなくて、それを通してまちの課題を知る機会であるとおっしゃっていました。そこでつかんだ課題をまた事業に反映させてゆく。
まちにでることはまちを知ることで、そこからまたプログラムが変容していく。今回のまちはみんなのミュージアムもある意味アウトリーチ的でもあるかもしれないと思いました。日々アウトリーチ。
11:12
プロジェクトのスタッフとしての腹のくくりかたについて。 私自身は、表現についてまだわからない事がいっぱいあるなと思ってい […]
プロジェクトのスタッフとしての腹のくくりかたについて。
私自身は、表現についてまだわからない事がいっぱいあるなと思っています。それがある種の自信の無さを作りだしている気がしています。そしてそのことでアーティストやプロジェクトで関わった方に迷惑をかけてしまうこともこれまでありました。
できないことを開き直るのではなく、もちろん学び続けることは大前提として、今の私ができることはなんでしょうか。と思うのです。
私のこの立場で、これまで関わってきた色んなできごとを結集して、これから出会う色んな人と何ができるでしょうか。足りないです、知識も経験もすさまじく未熟です。もう一つ足すと人間的にもまだまだ稚拙で成熟した大人とはいえません。けれど、そんな私が、全身をかけてできることってなんだろうと思うのです
わからないことをわからないと、できないことをできないと認めるのはこわいことです。そこから踏み出すことも怖いことでもあります。
けれど、参加してくれた人や、関わってくださった方、応援してくれる方、アーティストにとって、誠実さを持って、今の私にできる事は何かと問いながら、胸を張って、わたわた、やっていきたいな、と思います。
時々(よく)おろおろ、うろうろへこたれますが。
これはつよくつよく自戒を込めて。
17:15
そういうわけで、11月30日に、廣瀬俊介さんをお招きして振り返りとこれからを考える会をするわけですが、本日、お尋ねして、 […]
そういうわけで、11月30日に、廣瀬俊介さんをお招きして振り返りとこれからを考える会をするわけですが、本日、お尋ねして、こちらの依頼についてお話ししてきました。
繰り返しになりますが、授業を評価してほしいわけではない。授業の取り組みを踏まえつつ、これからの道を一緒に考えてほしいということ。
それはつまり、自然や環境との出会い、対話、見えないものへの想像力をもつこと‥。身体のセンサーを信じて。
同業他社(笑)。ってか、先輩。お若いけれどね。
廣瀬さんの活動はこちらからも。
http://shunsukehirose.blogspot.com/
本棚には見知っている本がたくさん。
中でも、ああ、なるほどね、って思ったのは、『ゲニウス・ロキ』(シュルツ)、学生の時には絶版で、図書館でコピーして読んだっけ。
土地の霊性みたいなこと。学生の頃にはそうだよね、きっとって思った。40年近く前。
でも、今、異なる宗教的な背景を持つ私たちは、簡単にそうだよね、って言えない。
一間離れたところに、宮本常一『自然と日本人』。こちらを、まずは、熟読、かなあ。などと。
話は経験のこと、経験の質のこと、質(良し悪しではなくてね)をどう豊かにしていくのか、そもそも豊かさとは何か、ちゃんと立ち止まることなどなどを、子供たちとともに、どのように作っていくのかな、と。
これもまた継続。
12:21
東京デスロックのanti human educationへ。横浜のstスポットです。 教室のようなセットで演者は教壇に立 […]
東京デスロックのanti human educationへ。横浜のstスポットです。
教室のようなセットで演者は教壇に立ち、私が受けてきた教育について話します。と、観客に語りかける。
子育て、教育、なんて言うけれど、不完全な存在であるひとがひとになにかを教えることなんて本当にできるのか。正しい教育も間違った教育もほんとうはよくわからない。2歳の人といるとですね、こちらが教わることのほうがはるかに多く、、。
どんなに相互的に場をつくっても、演劇も教育も、何かをなす人がいて、それを受け止める人がいる、という関係性からなかなか自由になるのは難しいのだなとも思ったりしました。そういう学びの関係を少しゆるがせる事ができたら面白いですよね。
知識を教える「銀行型」の学びではなく、ともに問題提起をして語り合う「問題提起型」の主体的な学びでしか社会構造に変革をもたらす人を教育することはできないといった「被抑圧者の教育学」を書いたパウロフレイレは、本当の主体的な学びは抑圧者ではなく被抑圧者の側からしかつくることはできないと言っていた。
出会うことのできない人がいる。いるのにいないことになっている人もたくさんいる。たぶん、なにより私自身のために、もっといろんな人にわたしは会わなければいけないのだと思う。
09:42
詩人の大崎清夏さんのツイッターで紹介をみた。 なにかが首のまわりに 一編の全文を出版社のウエブサイトで読むことができると […]
詩人の大崎清夏さんのツイッターで紹介をみた。
一編の全文を出版社のウエブサイトで読むことができるという。
明け方、私は全文を読んだけれど、今、9:40分、サイトは多分混雑でひらけない。
読んでみたらいかがだろう。
違うということにある境目と重なり合いと、違うからこそ生まれる相互の尊重や愛。
河出書房、回線太くしてほしい(笑)。
20:19
本年度、東村山市南台小学校との連携授業で、多磨全生園訪問の体験を造形を通して掘り下げてみる活動を行いました。 同校で行わ […]
本年度、東村山市南台小学校との連携授業で、多磨全生園訪問の体験を造形を通して掘り下げてみる活動を行いました。
同校で行われる図工展では、全学年の図工での活動を紹介し、その中でも6年生のこの活動の成果を展示します。
この、図工展に合わせ、ランドスケープデザイナーの廣瀬俊介さんをゲストにお招きし、授業に参加した方々、都内の図工の先生方と振り返りを行います。
これまでは、教育関係者や大学の先生をお招きしての振り返りの会が多かったですが、今回はランドスケープデザイナーの方を。
前年度の全生園の活動は人権の森を主題にしました。今年も、隠れたテーマに森。
なぜ森なんだろう、人がなぜ森を大切に思うのだろう、そこに何を見ているのだろう、と考えると、風土をテーマにしている廣瀬さんと、今回の活動の「評価」について語り合うのではなく、これから育つ子供達にとって、風土というものがどのようなものなのかな、地域と繋げるということ、子供達を地域に返す、といつもおっしゃってる先生とじっくり話せるといいかなと思います。
11月30日、夕方。
よろしかったらお出かけくださいね。
14:37
今日は、大きな紙に一人ずつ自由な線を描き、そこから見えた形を絵にしたり、色を塗ったり、好きなものを描いたりしました。 一 […]
今日は、大きな紙に一人ずつ自由な線を描き、そこから見えた形を絵にしたり、色を塗ったり、好きなものを描いたりしました。
一人一人線を描くのは何度かやっていまして、初めてやったときは、みんな固くて動きも少ない線でしたが、今日はそれぞれ誰かの線をなぞることもなく、紙の端から端まで伸びやかな線を描いてくれました。
そこからいろいろな絵を加えていくのですが、ただ色を塗ることを楽しむ人、空いたスペースに好きな絵を描くのを楽しむ人、気に入った色を塗ることに満足する人など、それぞれのスタンスで関わってくれました。気がつけば、賑やかで明るい絵が出来上がりました。
17:57
支援ー被支援という関係の中にも様々な層/相があって、とても複雑なのだろうと思います。 その前段階では、なによりも、他者と […]
支援ー被支援という関係の中にも様々な層/相があって、とても複雑なのだろうと思います。
その前段階では、なによりも、他者とは誰であるのかを知ろうとする能動性も必要になります。
でも、その前に、「たすけてやるぜ」って気持ちが強すぎるのも、なんだか考えものだな、とも思います。
ぐるぐる。
自分の非力を合理化するため?もあって、もう、何年も、ただのアムネスティの会員をしています。
送られてきたチラシをみて、この手の(書き損じはがきを現金に替えて寄付します)活動はずっとあったけれど、この「箱」はなんだか展開可能?とも思いました。
チャリポンっていうの。
普通にアムネスティがいうように、読み終えた本を投函して、こちらのスタッフが古本屋さんに送る。その箱の隣に、地球上のどこかの誰かにメッセージが送れるようになったらどうだろう? この箱ととても似た箱を隣に置いて、どこに届き、お金に変わり、誰かの助けになるかもしれない本に込めるように、メッセージを募集したらどうだろう。
香港の人々、殴られる若者、裸足で逃げ惑う子供達、難民キャンプで生きる子供達を応援するための本、そして、その本をどんな気持ちを込めて投函したのかも、もう一つの箱に投函してもらったらどうだろう?
週に一度、この箱の中に込められたメッセージをこの場所でアップしてみようか。
まだ、届かない(箱が届いたら、ちゃんとアムネスティのルール通りに設置します)箱が届いたら、古本を募集しつつ、そこに込められた何かを隣の箱に投函してもらい、週に一度、ギャラリーの壁かこのページか、アップしていこうかなと思います。
乞うご期待???
14:55
今年の学校プロジェクトで、算数の授業でプログラムを行う事になりそうです。数学者の岡潔さんの本を読んでいます。 無生法忍と […]
今年の学校プロジェクトで、算数の授業でプログラムを行う事になりそうです。数学者の岡潔さんの本を読んでいます。
無生法忍という、仏教において大自然の理を悟ることを理解しないと、本当の意味で数学を理解することはできないのだと岡さんはいいます。また、自然の中に心があるのではなく、心の中に自然があるとも言っている。
数学とは、この世界のありように関心を持ち続けること、その営みを通して、心の中にある自然に思いを馳せること。それは、情緒を大切にして生き続けることと深く関わっていると思うのです。
数学が苦手な私は、春から算数の授業で造形的活動のプログラムにずいぶんと悩んでいるのですが、ふれればふれるほど、そのひろさやゆたかさにとてもおどろきます。こどもたちにとって、算数の概念や学ぶことの概念がひろがるプログラムにしたいですね。そろそろ本格的に考えてゆかなければ、です。
14:31
まちはみんなのミュージアム、参加アーティスト、大崎清夏さんが参加された「音で観るダンスのワークインプログレス」に昨日行っ […]
まちはみんなのミュージアム、参加アーティスト、大崎清夏さんが参加された「音で観るダンスのワークインプログレス」に昨日行ってきました。
視覚に障害のある人たちが芸術を楽しむために、音で視覚情報を補助する「音声ガイド」。この音声ガイドをダンスという言語で説明が難しいものにつけてみる事を3年間かけて様々な人と研究しながら行うプロジェクトの3年目の発表会でした。単に音声ガイドについて研究することを超えて、ダンスの鑑賞体験そのものを問い直したり、他のひとにとっての観賞体験に思いを馳せることになったり、みること、わたしたちの身体そのものを問い直すプロジェクトでした。
そうそう、私達は目だけで見ているわけではないし、耳だけで聞いているのではない。身体をつたわる振動による空間の把握もある。からだで感じる音から、ダンサーがどこにいるか、暗闇の中だってわかる。
はじめは明るい状態でいくつかの音声ガイドを選びながらダンスを見て、その後真っ暗闇で音声ガイドを頼りに鑑賞する。こびりついた視覚イメージが脳内から消えず、視覚イメージの強さをあらためて感じる。目が見えない方にとっては、ぴじんさんのダンスが、暗闇でけもののようなものがうごめいているように感じるのだそう。一度視覚イメージを持ってしまった私は、そんな風に自由に想像を飛ばすことができない。見ることでみえなくなるものもある。
言葉にすることでみえてくることや、感じるリズムもあるよね。
みることや言葉にすることを問い直してみるとき、このまちで、どんなことがみえるのだろうか。
HPにアーカイブがあります。ご興味のある方は↓よりぜひ。
http://otodemiru.net/
08:04
本年度から始まるもう一つのプロジェクト「越境」。 境を超えることを考えるといろんな境目が身のまわりにあるね。 国境も隣地 […]
本年度から始まるもう一つのプロジェクト「越境」。
境を超えることを考えるといろんな境目が身のまわりにあるね。
国境も隣地境界もあなたと私を隔てる皮膚も。
と考えると、闇雲に超えなくてもいいし、超えられないね。
すべからく超えればいいわけではないけれど、でも、その向こうになにがあるのか、そのものはどんな面持ちでそこに立っているのか。
見えないものへの想像力をどのように発動させることができるのか?
親しみをもって想像すると。
相手に対する信頼を持つことと。
を、キーワードに。わからなさのグラレーション、網目にどのように想像力を持って近寄るか、想像力を身体化するか?
オーストラリア在住の呉夏枝さんをゲストに、本年度はまず海外に出自を持つ人たちを交えたWSを、11月の上旬に行います。
20:16
プロジェクトではないけれど、私の中で分かちがたく結びついている話。 私には2才のこどもがいます。そして今日はこどもが熱を […]
プロジェクトではないけれど、私の中で分かちがたく結びついている話。
私には2才のこどもがいます。そして今日はこどもが熱を出しています。けれど、仕事だからごめんと夫にお願いをして、仕事へ。良きプロジェクトにしようとがんばればがんばるほど、よき母ではなくなっていく。家事や家族との時間や様々なことが回らなくなってしまうのです。
なんだかどっちも中途半端だな、家族も仕事も、もっとやりたいのに、できないな、結局中途半端だな、みんなに迷惑をかけてダメダメだな、なんて思いながら、今日も働いています。
それは私のキャパシティが小さいということなのかもしれません。やれる人はやれるのかもしれない。だけれど、その二つのバランスを上手にとりながらやっていくことは私にとっては実は結構至難の業でもあります。
プロジェクトの中で考えます。くらしのことや表現のこと、善く生きること、そしてそれをひらいていくこと。だけど、私の実生活は余裕なし、ぼろぼろ、でもあるのです。ごめんなさい、矛盾です、なんて時々思ってしまう部分もあります。
だけど、本当は、そういう事もプロジェクトの本質に無関係ではないんじゃないかな、と思ったりします。
06:43
生まれ変わったら図工の先生になろう(笑)。 特に、少年院とか刑務所みたいなところの、と、まじで考えていたことがあります。 […]
生まれ変わったら図工の先生になろう(笑)。
特に、少年院とか刑務所みたいなところの、と、まじで考えていたことがあります。
自分の子供が横路くんだったりね。
人が山や森から離れてしまって、人工物の中で暮らすようになっても、ものをつくるという、半ば本能みたいなものは真剣に大切にした方がいいって、いろんな意味で感じます。
これらは、先の東村山の小学校の図工時間の実験のために先生が集めてくれたもの。このほか大量の竹、木々。
4年生が対象でも、大人参加者のMさん。
「私はいわゆる、多くの人が共通してイメージできる楽器というもの以外の何かの物が作れないかと考えています。
身体を動かすことによって演奏する何かとか。
ある部屋自体が楽器で満たされていて、通過すると音がするとか。
まだ、具体的なアイデアは、何もないけれども。
つまり、楽器にオリジナリティも加えられないかなと考えています。
だけど、作るの大変になりそうだから、やはり、無理かな…。」
「はい。ありえない事を目指しましょう。
とりあえず、大風呂敷を広げて、ハードルを出来るだけ、高く設定するタイプなので。
どう、着地で知るかはわからないけど…」
うんうん、どんな時間になるか楽しみだよね。
ギコギコトントン、トントンギコギコ。
音楽はいいね。
07:13
何年か前に、自然素材で楽器を作るプロジェクトを小学校で行いました。 そのプロジェクトを、改めて、東村山市の小学校で。 い […]
何年か前に、自然素材で楽器を作るプロジェクトを小学校で行いました。
そのプロジェクトを、改めて、東村山市の小学校で。
いつも、実験。
関わる人たちが素材に触れ、やってみて、子供たちと対面します。
実験初日。
音は振動、だけれど、振動だけではない。何か。
お昼休みに。
左手に持っているのはひょうたん。ひょうたん音を大きくしているんだね。
06:28
アーツカウンシル東京の佐藤さんとの対話から、テッサ・モーリス=スズキさんの『世界を再想像する』(福岡市立美術館)を見る、 […]
アーツカウンシル東京の佐藤さんとの対話から、テッサ・モーリス=スズキさんの『世界を再想像する』(福岡市立美術館)を見る、読む。
キュレーターの正路さんが、展示に際してこのテキストがテッサさんから送られてきて、図録に収録できたことが大きな喜びである、と書くのもとてもよくわかる。そして、もしかしたら、今、さらに、私たちの立つこの場所を照らしてくれる一文なのだろうとも思う。
このテキストが終わってしまった展示の図録にひっそりと立ち続けていることを、少し掘り起こして行けると良いのだろうと思う。ブレイクのくだりを少しだけ。
ーー
(略)
今日の世界政治に明らかにかけているのは想像の能力であろう。現在にいたるまでの道程のどこかで私たちは夢を失ってしまった。グローバル化された世界は巨大な商品経済のシステムによって規定されるようになり、政治と文化はそれにほとんど抵抗を示さない。グローバル資本主義のパワーが政治的想像力を抹殺したのである。それは1980年のイギリスの首相サッチャーが掲げたスローガンによって要約される。
「他に道はない(there is no alternative)」
他の国と同様に現在の日本の政治世界では、オルタナティブは忌避され、創造性を持つ想像力は圧殺される。政治的言説では偏狭な意味だけを有した「国益」という言葉が濫用され、結果として外側世界との摩擦は深まる。
政治は、まるで「恐怖」によって動かされているようだ。「他者への恐怖」「未知なるものへの恐怖」、それだけではなく「自分自身に対した恐怖」。
世界の国々と同じく、日本は新しい夢とヴィジョンを必要としている。
それはどこで見つかるのか?
それは、政治の境界を超えたところ、いや、「政治の境界」自体を描きなおして再想像したところを探さなくてならないのではなかろうか、と私は考える。
(略)
美術には、より良い生のヴィジョンを求める特別な位置がある、と私は考える。それは、視覚と神経と脳を物理的に結びつけるだけでなく、想像の力を刺激し想起させることにより、私たちを囲む世界を明示してくれる。想像力がなければ、現前にあるもののほとんどは見えていない。
「ある人を感動せしめて喜びの涙に至らしめる木も別の人には道路に立ちはだかっている一個の緑色のものに過ぎないのです。ある人は自然を全て笑い草であり畸形であると見ます。(中略)また、ある人は自然を全く見ないのです。しかし想像の人の目には、自然は想像自体なのです。」と詩人ウイリアム・ブレイクは書いた。
美術は、自然とヒューマニティーを可視化して、不可能なものをリアルに転化して。まさしくその理由によって私たちの夢を不可視なものにしようとする社会的政治的障壁を取り壊していく。
(略)
ーー
2014年に(それはつまり、9.11も、3.11も経験したのちではあるのだけれど)、テッサさんは「政治は、まるで「恐怖」によって動かされているようだ。「他者への恐怖」「未知なるものへの恐怖」、それだけではなく「自分自身に対した恐怖」」、と書く。
不安と喪失と茫漠とした無力感に向き合うためには、織物を織るように手を動かし、糸や布、さらに、「何か」を折り重ね、心を空にし、そして、違うもので満たす、に似た、そしてそれぞれの人に寄り添う営みが必要なのかもしれないと思う。
継続‥。
図書館で見てね。
13:01
毎日暑いですね。暑いときには涼しいテーマを選びます。 7月後半と、8月前半は、うちわにマーブリングをしました。 今回は、 […]
毎日暑いですね。暑いときには涼しいテーマを選びます。
7月後半と、8月前半は、うちわにマーブリングをしました。
今回は、職員さんから、普段アートに参加しない人、なかなか落ち着かなくて参加が難しい人も含め、全員の利用者さんに楽しんでもらいたいというご要望をいただき、全参加が難しい人への配慮や、他の作業の合間に参加できるようになど、段取りもしていただきました。このような形でアートを利用していただけること、とてもうれしかったです!
マーブリングの魅力は、なんといっても、水と絵の具が作り出す、一期一会の模様ですね。意図して模様を作り出せるものではない=正解がない=絶対失敗しない!のです。
そして、マーブリング私を集団で行う際に、もう一つの大きな魅力があります。
それは、一人づつ、テーブルの前に出てきて、みんなに見守ってもらいながら、私と一緒に、絵の具を選び、水に垂らし、うちわを沈めて模様をつける、という、特別な時間を持てるということなのです。一人ずつしかできないと、待っている人が手持ち無沙汰で落ち着かなくなるのではないかと心配してしまいますが、案外飽きることなく他の人の工程を見ていたり、次は自分の順番かとワクワクしながら待っていたりするのが伝わってきます。もちろんいられない人は、その人のペースでよいのです。でも、案外多くの方が、自分の順番を心待ちにしながらじっと見守ってくれます。
一人1セット用意してやることもできますが、実際には水も使うし結構大変、その割にすぐ終わってしまうマーブリングですが、集団の力をもらうことで、ただマーブリングをやるよりも、もう一歩深い体験ができるのです。
08:56
なかばヤケクソ(失礼)とも言える、かもしれませんが、考えてみたいと思います。 今年も東村山市の小学校で、ハンセン病資料館 […]
なかばヤケクソ(失礼)とも言える、かもしれませんが、考えてみたいと思います。
今年も東村山市の小学校で、ハンセン病資料館を訪問した経験を元にした(あるいは経験を深めるため)に、図工の授業を学校と一緒に行いました。
終了して考えているのは、「経験」とは何か?ということです。ハンセン病資料館にいく、色々な物事を見聞きする、それを持ち帰り、振り返りつつ、出来事を「再現」ではなく、もう一度落ち着いて考えてみる時間をもつために、造形という技?手続き?を用いる。だけかな? 造形、という技は、そんなに道具として扱いやすいかな?万全かな? うーむ。
何かを作ってみよう、伝えてみようと前のめりに、能動的になることで、気がつかなかった細部やあるいはもっと大きな意味を考えさせられることはよくある。そう、それも考えていたことの一つだけれど、それが子供達にとってどういうことだったのか?あるいはどういう可能性があるのか?
もう一つは経験の「質」のようなこと。
私たちが高度な?硬質な?「質」を子供達に提供できると思っているわけではもちろんない。質に良い悪いを言いたいわけでもない。ただ、それは一人ひとりにとってとても違うものであるということ。形となって外に出てきたその様も大切ではある。でも、事や物に出会いながら、自問自答するその過程の曲折、自問自答の深まりが、頭の中だけではなく、手や身体、五感を通して得られることが大切なのかな、と。喧騒の中でも、一人ひとりがそんな瞬間を持つこと。
だから、大人は傍にただ居るだけ、を目指す。時によっては居ることが阻害することだってある。そんな時は息を殺して遠くにいる。
ささやかなことなのだけれどね。
授業の中で。素材があれば、どんどんと、変なことが始まる。
08:39
つまり、アートや造形の本ではないけれど。 「3章 環境のバラツキが種多様性をつくる」 そうだよね。 2章の末尾では、ブナ […]
つまり、アートや造形の本ではないけれど。
「3章 環境のバラツキが種多様性をつくる」
そうだよね。
2章の末尾では、ブナが占有している森の一部が崖崩れによって崩れて、そこに新しい種が移入してくるサイクルが書かれています。
たくさんの種が存在することで、病気でいっぺんに多くの植物が枯れてしまうことを防ぐとか、森に棲むことのできる動物がふえるとか、多様であることがとても大切、なのはわかる。
この本はそのメカニズム(ものすごく面白い!)を丁寧に書いてくださっていますが、ここまで読んで、ふむふむ、だろ!って思うのは、やっぱり、この、撹乱(前述の場合には崖崩れね)があることで、新しい種が入ってきて、また新しい多様性を森に持ち込むってこと。
スギヒノキの人工林だって、一生懸命孫子のことを考えて植えたおとっつぁんがいたことも確か。いい悪い、なんて言えないけれど、ただ、撹乱を繰り返していくことが多様性を高める場合があること、もちろん、先の震災やたくさんの自然災害を前にしてそんな悠長なことは決して言えないけれど、そういうことも恐れずに考えていったほうがいい。個人的にはね、そう思う。
ここからが本題。
そんな話と、小金井という街でプロジェクトをすることについて話した。
私は何となく、比較的均質で、場合によってはちょっと排他的な感じがすると思ったりしていて、その中で誰に何を話すんだろう?って。Mさんに。
そしたら、コンビニには海外から来て働いている人がたくさんいるし、彼らには一人一人の家族や暮らし、人生がある。その一人一人に会いにいくだけで世界の広がりに触れられるでしょって。だよね。だよね。
生態学で撹乱って言葉は出てきて、ちょっとドキッとしてしまう強い言葉だけれど、でも、これは悪いことじゃない。氾濫原というのもね。とてもデリケートで、豊かなで大切な欠くべからざるところ。そして、例えば水がかぶったり引いたりする所にしか生きられない動植物もたくさんいる。多様で美しい。
洗った洋服から千円札が出てきて、夜中のコンビニで店員さんに自慢した。そしたら、よかったですね!と(よかったかどうか、後から考えるとわかんないけど)。でも、夜中に知らない国の人とそんな話をして、帰りにどんな街で育ったのかな?と想像した。どんな風景なのかな。そして、この夜のやりとりで、支えられているのはいったいどちらなのか?と。
奄美大島のほとんど一軒しかないコンビニでは、ベトナムから来た先輩の店員さんが来たばかりの店員さんを丁寧にフォローしていた。日本の怖い客から(私ね)、違う国に来たばかりの人を守ろうとしているのか?知らない国に来たら、それはそうだよね。でもその優しさのある営みに、やっぱり私は励まされる。
さてさて、長くなったからおしまい。
継続。
08:36
昨日は一橋大学の学生さんと全生園に。 学芸員の木村さんを囲んで。 裁判史観という言葉が飛び交う。 表に出てこない私史のよ […]
昨日は一橋大学の学生さんと全生園に。
学芸員の木村さんを囲んで。
裁判史観という言葉が飛び交う。
表に出てこない私史のようなものに丁寧に出会っていきたい。顔が見えるようにね。
研究紀要 抜刷 優生保護法下で生まれたハンセン病患者の子どもたち
春先、奄美の和光園で教えていただいた資料。
それから、ある日のラインのやりとり。私(miho)が、植物のご専門の方(Iさん)に写真を示して質問中。
12:12 Miho Iさん、お時間おありの際に。ムラサキシキブ?ウツギ? 誰も花をみたことがありません‥。お教えいただけると幸いです。
13:29 I ムラサキシキブでございます
13:36 Miho だよね、でも、一度も花咲かないんだよねえ。ありがとうございます。
13:38 I 陽当たりが悪いとだらだら葉っぱだけつけいることが多いと思われます
13:39 Miho ありがとうございます。こういう、植物の「総称」、ではなく、一株毎の個性や状況に思いをはせたいものでございます。 ムラサキシキブなんて、強い植物、って思いがちだけど、ひっそりと苦労(笑)している子もいるんだよね。
わかりにくいと思いますが、植物を名前で表現してしまうと、わかったつもりになってしまいます。そこで思考停止。でも、一株毎眺めていくと、個体差がたくさんある。
09:34
これもプロジェクト本番の一つ。 学内に1月ほど展示した作品をまずは収納します。 先生、奮闘で、準備室に大きな作品を全部し […]
これもプロジェクト本番の一つ。
学内に1月ほど展示した作品をまずは収納します。
先生、奮闘で、準備室に大きな作品を全部しまえるようにしてくださいました。
11月に、改めて学内で展示します。
9月、10月には楽器のプログラムも控えています。
音楽ってなんだろう?
これもまた大きな課題。端からどんどん読んでみて、やってみる。大人も。
を、眺めたりしながら、手にはこれ‥。
グールド、おもしろい‥。
まっつんと清水さんはジャガイモかと思ったてさ。
09:28
今年も東村山市の南台小学校で、全生園訪問の体験を造形で深める授業をしました。 授業終了後、1月近く学内に展示をしました。 […]
今年も東村山市の南台小学校で、全生園訪問の体験を造形で深める授業をしました。
授業終了後、1月近く学内に展示をしました。
この日は東京学芸大学の原子先生と学生さんが見学に来てくださいました。
環境教育の過程の中で全生園を訪問されているとのことでした。そんなつながりから。
たくさんの方と様々な出来事を語れると良いですね。
13:28
ある日の本 苛烈な記録であると同時に、愛の本でもある、かもしれない。読み方によってはね。 特にこの数年間、福祉施設の方々 […]
ある日の本
苛烈な記録であると同時に、愛の本でもある、かもしれない。読み方によってはね。
特にこの数年間、福祉施設の方々と仕事をする機会にも、小学校に出かける際にもいつもとても気になった。
私たちは授ける人ではない、かといって遊び相手でもない。こっちは良いからこっちにおいで、素敵な世界があるよ、といって子供を引っ張ることも、福祉施設で、彼らはとても素晴らしい存在で、私たちこそが学ばせてもらっている、というのも、所詮はこちらの立場を棚上げした自己満足。出かけていく場は、私たちの自己表現の場ではない。どれだけ私自身が問われたのか、問うことができたのか?ずっと気になっている。ずっと、自省。
著者は医療人類学の大家で宗教学の学位もある人で、もちろん調査のフィールドとして、ブラジル南部の保護施設「ヴィータ」――そこは行き場をなくした薬物依存症患者・精神病患者・高齢者が死を待つだけの場所だった。(アマゾンの紹介文ね)ーに赴く。
ブラジルの現代社会の諸問題?!、医療が人をどう扱うかという問題、も、もちろん重大な課題。けれど、私は調査対象と調査する人がどんな風に出会うのだろう、そこに存在する相互の尊厳ってなんだろう?と思う。
苛烈な人生を生きてきた一人の女性の聞き取りを始めるわけだけれど、the対象、でも、過度の感情移入でも、社会の不平等を学術的に解き明かすだけでもなく、人が人とどのように出会うことができるのか、と、その可能性、理解の可能性を拡張する試みでもあると思う。人間としての共感も、出来事を理解することができる分析能力も必要だ。そして、きっと、なによりも人間に対する深い関心と共感と相手に対する尊厳なんだろうな、抑制された筆致から。もちろん、研究者だからね。
そして、翻って。我がこと。
つまり、良いことやっているからいいでしょ、ではなくて、素人の良さもあって良いのだけれど、やはり、私たちも人とはなにか?ってことを、深く深く学び続けなければ、それぞれの現場においそれと入って行っちゃいけないのかな、と思う。
専門書かもしれないし、厚いけれど(だから(笑)?)、精読の書。
こちらも。
14:27
ある日の本 数学が好きでもできるわけでもない。けれど、趣味はきのこの採取、の天才数学者にはとても興味がある。彼は昔は人懐 […]
ある日の本
数学が好きでもできるわけでもない。けれど、趣味はきのこの採取、の天才数学者にはとても興味がある。彼は昔は人懐こいよく笑う子供だったそうだ。
人がどのようにして行く道を定め世界を深めていくのか、たくさんの出会いの中で琴線に触れる、あるいは琴線どころか、世界そのものに触れてしまうこともあるかもしれない。それぞれの人の歩く道、その背中を思う。
というわけで、著名な数学者がどのような契機でこの道に進んだのか、インタビューと写真によって構成されている本。石井さんに頼んで買ってもらった。
成功した学者だから、肯定的なのかもしれないね。でもそれだけではなくて、問うに値する命題と感じられるものに出会えた肯定感なのかもしれない、それぞれの表情。
このページのキャサリーン・A・オキキオルは、絵画か数学か?そのつぎのページのガワーズは音楽か数学か?を迷った挙句に数学を選んだそう。
天が二物を与えるかどうかと言った問題ではなくて、なんとなく、その二物にあるのは「探求」、ではないかと思う。
以前、トークの場で会場から質問されたっけ。あなたにとってアートってなんですか?って。しばらく考えて、きっと「探求」、追い求めることそのもの、のような気がする、って答えた気がする。多分。人助けでも自己表現でもない。道そのもの。
小学校の算数の授業に参加します。
造形は手先の問題ではなくて、思考や直観、哲学の問題だったりもする、だろう‥。
どんな風に算数少年少女に出会えるといいかな、冬の授業にむけて考え中。
07:40
ある日の本棚。 本年度、小学校のPJでは、プログラミング教育にどんな風にアプローチするか、算数+図工はあり得ないかと模索 […]
ある日の本棚。
本年度、小学校のPJでは、プログラミング教育にどんな風にアプローチするか、算数+図工はあり得ないかと模索中。
スカイプでのミーティング中に、本棚を見回しつつ、この、性差別的タイトル『おくさま便利帳』が、なかなか面白い。
暮らしの手帖のようなんだけれど、湿気の多い時期に靴箱をどうするか、とかそんなことね。
その隣の『数学的経験』も、全く何が何だかわからない、その加減がおもしろい。もしかしたら名著かもしれないけれどね。
生きていくことと学ぶことがどうそれぞれを豊かにしていくことができるのか? いやいや、そもそも、それぞれ、なんて風に分かれていないのかもしれないね。そのことに気づくことも大事だね。人間的経験。
11:31
今年度のえいちゃんくらぶ、ひそやかに始まりました。 6月16日の今年度1回目では、第一期のメンバーに加え、えいちゃんふぇ […]
今年度のえいちゃんくらぶ、ひそやかに始まりました。
6月16日の今年度1回目では、第一期のメンバーに加え、えいちゃんふぇすに足を運んでくださった二組の方と、この活動に興味を持ってくれた方が一人サポートメンバーとして加わってくれました。新しいメンバーの皆さんにえいちゃんくらぶの活動についての説明があったあと、二人一組になって、お互いのお話を聞き、今年度はどのような活動をしたいか、という話をシェアしました。ただ輪になってお話しするのとはまた違って、自分の考えを相手の方の言葉で聞くことでより皆さんに伝わる部分もありました。
次回は7月21日日曜日、「デジカメで映像を撮ってみよう!」ということで、実際にデジカメを動かしてみます。時間は12:30~15:00です。ご興味のある方は、ぜひのぞきに来てください!
9月から本格始動します。8月より、概ね70歳以上のメンバーさん、メンバーさんの活動をともに楽しんでいただける10代から60代のサポートメンバーさんも新たに募集しますので、ご興味のある方はお問い合わせくださいね。
11:13
昨日のアートの時間は、「回し絵」をしました。 「回し絵」ですが、 まず、画用紙にクレヨンで絵を描きます。短時間で合図があ […]
昨日のアートの時間は、「回し絵」をしました。
「回し絵」ですが、
まず、画用紙にクレヨンで絵を描きます。短時間で合図があったら、お隣の人に回します。
回ってきた、お隣の人が少し絵を描いた画用紙に、絵を描き加えます。
また合図があったらお隣の人に回し、回ってきた画用紙にまた絵を描き加えます。
昨日の参加者は10人だったので、最後には画用紙の上で10人分の絵が混ざり合ったものが自分に戻ってきます。
仕上げには、薄目に解いた絵の具で、できるだけ白いところがないように色を付けました。クレヨンで描いているので、上から塗ったらはじいて浮き出すのが素敵なのですが、人によっては、重ならないよう丁寧に塗っている方もいました。
回し絵は初めての試みでしたが、空いた空間に得意なモチーフの絵を描いたり、先に他のひとが描いた絵を模倣してみたり、他の人の描いた模様に色を塗ったり装飾をほどこしてみたり、いろいろな表現他の人の描いた絵を、壊すこともなくさけることもなく、お互いに尊重している様子も見られました。紙の上でいろいろなコミュニケーションが生まれていて、なかなか面白かったです。
15:13
今日のかがわ工房は、野菜スタンプでした。職員の皆さんの協力のもと、キャベツの芯、小松菜のへた、青梗菜、トウモロコシ、ニン […]
今日のかがわ工房は、野菜スタンプでした。職員の皆さんの協力のもと、キャベツの芯、小松菜のへた、青梗菜、トウモロコシ、ニンジン、ピーマンなどなど、たくさんの野菜の切れ端が集まりました。
絵具を吸わせたキッチンペーパーをスタンプ台に、各自思い思いに紙にスタンプしていきます。
色や配置を考えて丁寧にスタンプしていく人
一つのお気に入りのアイテムを、ひたすらランダムにスタンプしていく人
とにかくたくさんのアイテムを、カラフルに重ねていく人、
オクラのへたで、好きな車やマークを書くようにスタンプしていく人
目についたものをのんびりスタンプする人
よくわからないけど、とりあえずスタンプしてみる人
・・・・
自分で選び、自分で満足いく作品に仕上げます。それぞれ味わいのある、素敵な作品ができました。
12:34
春ですね。今年は満開後の冷え込みで、桜もずいぶん長く楽しめました。 さて、4月9日、今年度初回のかがわ工房のアートの時間 […]
春ですね。今年は満開後の冷え込みで、桜もずいぶん長く楽しめました。
さて、4月9日、今年度初回のかがわ工房のアートの時間に、春を探してスケッチをしに学芸大学に行きました。ちょっと風が冷たかったですが、各自好きな場所を見つけて椅子に座り、ゆったりした時間を堪能しながら、目についた花や景色を思い思いに描きました。
大きなヤマザクラを描く人、地面に這うように生えている小さな花を見つけて描く人、場所の雰囲気を感じて色鉛筆をはしらせることを楽しむ人、自分の描きたいキャラクターと組み合わせた絵を描く人、同じ場所にいても、こんなにもたくさんの見方、見え方、とらえ方があるんですね。本当に、素敵です。
外って、いいですね。
ちなみに、かがわ工房のパン屋さん、から新店舗でオープンということで、帰りがけに思わずたくさん買ってしまいました(笑)
11:51
4月になりました。新年度です。 今年の抱負は、出勤した日には毎日ひろばを書く事です。 今年はどんなできごとが起こるんでし […]
4月になりました。新年度です。
今年の抱負は、出勤した日には毎日ひろばを書く事です。
今年はどんなできごとが起こるんでしょうね。ワクワクです。
今日は、昨年度の報告書と、色々書類整理や片付け等をしています。
どうやらアートフルは秋ごろからぐわんと忙しくなるので、
今の時期に、後回しになりがちな片づけをしたいなあと、思います。
春はいいですね。少しフワフワしています。
10:19
本日18:30から、えいちゃんふぇす会場にて上映&トークイベント「旅する人と映像と」を行います。 国内外の色々な場を旅し […]
本日18:30から、えいちゃんふぇす会場にて上映&トークイベント「旅する人と映像と」を行います。
国内外の色々な場を旅しつつ、色々な人と出会って別れて映像を制作している映像作家の桑山篤さんがゲストとして立ち寄ってくれることになりました!
えいちゃんくらぶの活動の中でも、また、えいちゃんふぇすの会期中にも、たくさんの、色々な人との出会いがありました。映像、出会い、まち、映像を通じて、いろいろなことをちゃんぽんしながらお話しする、まさに「映像」+「メモリー」+「ちゃんぽん」=「えいちゃんくらぶ!」なトークが繰り広げられることでしょう!
17:30からは会場にて桑山さんの作品も上映します。
ぜひ足をお運びください!!
10:01
作品紹介⑪ 「あるコミュニティカフェのはなし」 まちの中で、気軽に集い、情報交換ができるコミュニティカフェは、これからの […]
作品紹介⑪ 「あるコミュニティカフェのはなし」
まちの中で、気軽に集い、情報交換ができるコミュニティカフェは、これからの時代ますます大切な存在になるでしょう。まちのコミュニティカフェ「わ・おん」の日常や、思いを丁寧に追ったドキュメンタリー作品です。
09:59
作品紹介⑩ 「旅するひつじ」 羊毛を洗い、染色し、紡ぎ、織る、という「織り」の工程を、作者の体験を通して、丁寧にたどった […]
作品紹介⑩ 「旅するひつじ」
羊毛を洗い、染色し、紡ぎ、織る、という「織り」の工程を、作者の体験を通して、丁寧にたどったドキュメンタリー作品です。その視点からは、まさに「旅」という比喩がふさわしい、深さと温かさが感じられます。
09:57
作品紹介⑨ 「チーズケーキ作り」 ご自宅で営んでいる喫茶店で提供されるチーズケーキはご主人の手作り。その制作過程を、早回 […]
作品紹介⑨ 「チーズケーキ作り」
ご自宅で営んでいる喫茶店で提供されるチーズケーキはご主人の手作り。その制作過程を、早回しやBGMの挿入などを盛り込んで、遊び心たっぷりに編集しました。
09:55
作品紹介⑧ 「私の愛読書」 黒猫がお出迎えしている薄暗い通路の先にある作品。外山さんの愛読書の世界に引き込まれるようです […]
作品紹介⑧ 「私の愛読書」
黒猫がお出迎えしている薄暗い通路の先にある作品。外山さんの愛読書の世界に引き込まれるようです。英語の本を原著で読む奥深さを子供たちに伝えたい、という思いも込められています。
09:53
作品紹介⑦ 「Let’s Dance」 二人のご婦人がダンスパーティに出かけます。そこでは、ワルツ、ラテン、アルゼンチン […]
作品紹介⑦ 「Let’s Dance」
二人のご婦人がダンスパーティに出かけます。そこでは、ワルツ、ラテン、アルゼンチンタンゴ、フラーのダンスが華やかに繰り広げられているのでした。映像も音楽もほぼ無編集の、情緒あふれる作品です。
09:51
作品紹介⑥ 「夕焼け」 ご自宅の窓から見える夕焼けの空。その日の天気や時間によって、刻々と変化する美しい色合いは、いくら […]
作品紹介⑥ 「夕焼け」
ご自宅の窓から見える夕焼けの空。その日の天気や時間によって、刻々と変化する美しい色合いは、いくら眺めていても飽きることはありません。移ろいゆく美しい夕焼けを映像に取り込み、再構成しました。
この作品は、天井から垂らしたトレーシングペーパーに投影しているため、プロジェクターとスクリーンの間を通る人影が映りこみます。子供のころ、夕暮れ時に家に帰る道すがら、自分の前に伸びた長い影で遊んだことを思い出します。
09:41
作品紹介⑤ 「木と草と花」 初めて映像を撮る体験をした時から、なみさんの植物の映像はとても魅力的でした。それは、なみさん […]
作品紹介⑤ 「木と草と花」
初めて映像を撮る体験をした時から、なみさんの植物の映像はとても魅力的でした。それは、なみさんの植物への愛情のこもった目線が、ファインダー越しに映りこんでいるからなのでしょう。
09:38
作品紹介④ 「Rendes-vous」 たくさんの趣味をお持ちの外山さん。ご自身の趣味の変遷を、「順撮り」という手法で生 […]
作品紹介④ 「Rendes-vous」
たくさんの趣味をお持ちの外山さん。ご自身の趣味の変遷を、「順撮り」という手法で生き生きと表現された作品です。編集ソフトを使わずとも、緻密な作品構成によって、ここまで表情豊かな映像ができました。
14:19
本日より、「未来のタネ展」OPENしました。 色々あったけれど、無事オープンできて本当に良かった。 この展示は、市内の3 […]
本日より、「未来のタネ展」OPENしました。
色々あったけれど、無事オープンできて本当に良かった。
この展示は、市内の3校の学校と一緒に活動した今年度の小学校プロジェクトを、授業で制作された子どもたちの作品を中心に構成した展示です。学芸大の池田君、美花さんと一緒に展示を作っていきました。昨日搬入でしたが、最後の最後まで詩人の大崎さんをゲストに呼んだ本町小エリアの展示構図が決まらず、悶々とした時間を過ごしました。なかなかいいアイデアが浮かばず、休憩を取ろうと3人で座りながら、話したことを書き留めたいと思い、ここに書きます。
「詩はどう展示するか、ではなく、どう出会うか」なのだという事。人生で時々詩に出会う瞬間があります。ふたりの大学のゼミの研究室に、一編のコオロギの詩がかかっているそう。もし機会があれば、いつか私もその詩を見に行ってみたい。
本町小学校の6年生の彼らにとって、詩人の大崎さんとの出会いは、どんな出会いだったんでしょうか。そんなことを3人でつらつらと話しながら、本町小の構成をもう一度やり直して、設営は完了しました。
秋から関わってきた学校プロジェクトを展示するために、話したり、考えたりするなかで、改めて感じる事、ひらめく事がたくさんあります。経験を問い直されている感じ。
展示会場にいて、お客さんと話している今もそんな連続です。
プロジェクトに完璧などありえないし、完成などないということなのだと思います。
それは、私にとってある意味で救いでもあり、姿勢を正さねばと思う事でもあります。
とんでもない失敗からまた何かを学んだり、(でも失敗ってなんだろうか。)これでOK、これで完璧!という完成形もありえないということ。この経験が何かに繋がったり、繋がらなかったり、どこかに派生したり、飛んだり昇華したり。時間をかけて少し眠ったり、発酵してむくむくふくらんだり。まるでタネのように。
てんやわんやの日々を超え、(本当に)
アートフルアクションの1年がもうすぐ終わろうとしています。良かったら、未来のタネ展、見に来てくださいね。
14:09
作品紹介③ 「甘夏みかん」 喫茶店を兼ねたご自宅のお庭の甘夏みかんが美味しいジュースになります!最後の映像にはトリックが […]
作品紹介③ 「甘夏みかん」
喫茶店を兼ねたご自宅のお庭の甘夏みかんが美味しいジュースになります!最後の映像にはトリックがあります。ぜひ探してみてください!
14:01
作品紹介② 「柿内家始孫」 応仁の乱に始まるご自身のルーツを追った家系図を、解説とともに映像に収めました。
作品紹介② 「柿内家始孫」
応仁の乱に始まるご自身のルーツを追った家系図を、解説とともに映像に収めました。
13:57
えいちゃんふぇす 作品紹介① 「野川と浅草の風景」 元々カメラがご趣味てるちゃん。写真を撮りによく出かける野川と浅草を、 […]
えいちゃんふぇす 作品紹介①
「野川と浅草の風景」
元々カメラがご趣味てるちゃん。写真を撮りによく出かける野川と浅草を、映像に収めました。写真とともにお楽しみください!
21:26
えいちゃんふぇす、始まりました! 今日はメンバー全員集合して、展示最後の仕上げをして、オープンを迎えました。 初日から、 […]
えいちゃんふぇす、始まりました!
今日はメンバー全員集合して、展示最後の仕上げをして、オープンを迎えました。
初日から、たくさんの方に足を運んでいただきました。見応えのある作品ばかりです。みなさんお誘い合わせの上、ぜひお越しください!
12:34
現在、小金井市内の2つの小学校でのプロジェクトが始まっています。 今年度は、素材や「つくること」からちょっと離れて、自分 […]
現在、小金井市内の2つの小学校でのプロジェクトが始まっています。
今年度は、素材や「つくること」からちょっと離れて、自分自身に向き合い、表現する、そして、今まで当たり前と思っていたフレームを、ちょっとだけずらした時にどんな世界が見えてくるのか、というような内容で展開しています。
子どもに対して難しそうな内容、とも思えるかもしれませんが、そもそも、まだ生きてきた年数が少ない彼らにとって、瞬間瞬間が自分自身との対峙なのかもしれません。それを大人が、知らない間にこういうものだと思い込んでいるフレームをたくみにあてがって、いつの間にか自分と対峙する大切な時間や経験をないがしろにするようにしてしまっているのかもしれません。
詳細については、あらためてお知らせいたします。
12:05
芸術の秋です。。。と言っても、もう11月も後半。ここのところやっと、冬の気配も感じるようになってきました。 かがわ工房で […]
芸術の秋です。。。と言っても、もう11月も後半。ここのところやっと、冬の気配も感じるようになってきました。
かがわ工房では、引き続き、月二回、メンバーのみなさんとアートの時間を楽しんでおります。
10月のある回のことですが、もともと何かの芯だった太い筒に布や折り紙を貼り付けるという制作をしました。具体的に何かを作るのではなく、色あいや、布を切って貼るという行為を楽しむような活動でしたが、みなさんそれぞれの個性がにじみ出た、ステキな作品ができました。手が止まった方には、職員さんが「こんなこともできるよ」など、いろいろな提案をしてくださり、そこからもう一歩おもしろい造形に発展することもありました。
完成したら一人づつ紹介していただくのですが、ある常連メンバーさんが、ご自身の作品を「芸術です!」と紹介してくれました。この方は、器用でセンスも抜群なのですが、手が早いうえににあまり凝ったことは好きではないので、特に造形のときはあっという間に完成し、作品への思いもわりと淡々としていることが多いのです。今回もシンプルな作品ではあるものの、ご本人の心に触れるような、満足な作品ができたのだな、というのが、伝わったような気がしました。
12:29
えいちゃんくらぶの3回目が終了しました。今回は、前回部分参加だったメンバーのKさん、第1,2回都合がつかず参加できなかっ […]
えいちゃんくらぶの3回目が終了しました。今回は、前回部分参加だったメンバーのKさん、第1,2回都合がつかず参加できなかったサポートメンバーのMさんも加わり、これで全員のお顔を見ることができました。
今回のテーマは、「映像を見よう!撮ろう!編集しよう!~動かないものを撮る編~」で、メンバーのT さんが趣味で作っていらっしゃったという社交ダンスの樹脂人形をお持ちいただき、動かない人形を使って、いかに映像をとるかという実験をしました。
はじめは見当もつかなかった「動かないモノの動画」でしたが、角尾さんから動かないものに動きをつける方法として、①ものを動かす、②自分が動く、③コマ撮り の3つを上げてもらうと、一同納得。メンバーとサポートメンバーがペアになり、それぞれ工夫しながら映像を撮ってみました。
全参加で、ずいぶん動画を撮ることになれてきたSさんは、人形の影をうまく映像に取り入れるよう工夫されていました。
Tさんは、デジカメはお持ちでしたが動画を撮るのは初体験。それでも、さすがお人形の制作者、操作に慣れると、ご自身がダンスをするように動きながら、人形がダンスをしているような映像を撮られていました。
Kさんは、光と影を取り入れた映像にチャレンジ。動きのある映像を、人形を動かす人を映さずに撮ることに苦心しつつも、コントラストのある映像が撮れました。
Nさんもご自身で動画を撮るのは初めて。ステキなイメージやアイデアを具体化するのに色々試行錯誤されていましたが、とても躍動感のある映像になりました。
皆さんの映像が一通り取れたら、ソフトで編集です。角尾さんが、どういうところにポイントを置いてシーンを選び、切り取るのか、始まりと終わりはどのようにして決めるのか、など説明しながらお一人お一人の映像を編集してくれました。ただ撮ってみた映像が、編集することで映像らしくまとまっていくプロセスの面白さを、みんなで味わいました。
次回は外で映像を撮ってみます。またどんな映像ができるのか、楽しみです。
15:17
いよいよ明日から、えいちゃんくらぶ(映像メモリーちゃんぽん倶楽部)が始まります。 この活動は、高齢者(もっとしっくりくる […]
いよいよ明日から、えいちゃんくらぶ(映像メモリーちゃんぽん倶楽部)が始まります。
この活動は、高齢者(もっとしっくりくる呼び方はないものか)で、映像を撮った経験のほとんどない方を対象に、映像を作ることに触れ、学び、遊ぶことを目的にしています。ご興味を持ってご応募いただいた4人のみなさんとのスタートです!
いくつになっても新しい学びの場でワクワクできたら素敵だと思います。
また、サポートメンバーとして、高校生、大学生、留学生、40代、50代と、バラエティに富んだ人たちも関わってくれます。
今までの経験を映像を通して振り返ることで新しいまなざしを持つかもしれないし、個人のメモリーを仲間と共有することでより普遍的な何かを見出すかもしれない。何気なく暮らしている毎日に新しい視点が加わることは、きっと生活を豊かにすると思います。
途中からでも、ご興味こある方のご参加、大歓迎です!
14:38
7日、大木裕之さんの「メイ」の上映とトークイベントでした。 「メイ」は、大木さんが毎年5月に撮った5年間の映像の断片がつ […]
7日、大木裕之さんの「メイ」の上映とトークイベントでした。
「メイ」は、大木さんが毎年5月に撮った5年間の映像の断片がつなぎあわされた、約50分の映像です。大木さんの語りや映像のピースが切り替わり、それは大木さんの眼差しを通した日常の断片であるがゆえに、空間や時間を超えて、この5年間の社会や日々の風景が抒情的に、リアルに立ちあがってくる感じがしました。
私は映像を見ながら、どうしてか自分の事をずっと思い返していました。大木さんの人生と私の人生は全く違うのに、映像の中で時々ほんの少しだけクロス、というかニアミスする瞬間をどうしても見つけてしまいます。例えば「名古屋の長者町」。私もそういえば、何年か前に長者町に行ったことがある。映像の中の宮下さんがかぶっている帽子。私がはじめてアートフルアクションに出会った時にも、宮下さんはあの帽子をかぶっていた。あの展示の風景、いつの風景だろう。見たことがあるような、ないような、聞いたことがあるような、無いような、そんなピースの断片に誘われて、私自身も気づいていなかったような私の5年間の風景をそっと立ち上げていく時間でした。それは、大木さんが、トークの中でおっしゃっていた「映像は、見た人と出会う中で「呼吸」を始める」という事なのかもしれないなと思います。
作品を完成、させる、ということは一体どんな事なんでしょうか。
大木さんの映像や語りを聞きながら、作家が生きている限り、作品の意味やその内容はその日々の中で変化していくのだと思いました。そして、それは観る人と出会いまた新しい風景を立ち上げていく。そうすると、なにかをつくるということは、もしかしたら私が思っているよりずっと豊かな対話なのかもしれないですね。
08:44
小学校のプロジェクトが始まります。 今年は4つの小学校と連携します。 今までになかった、詩や身体表現、映像、地域との関わ […]
小学校のプロジェクトが始まります。
今年は4つの小学校と連携します。
今までになかった、詩や身体表現、映像、地域との関わりなどをマテリアル?技法?コンセプトに考えています。
ティム・インゴルド『メイキング』のはじめのところ、
副題の4つのA すなわち、人類学、考古学、芸術、建築について、それは作ることを通じて思考する方法である。少なくともそうありうる。このことは思考を通して作ることとは全く異なる。
『他者の苦しみへの責任』の、V・ダス、「言語と身体ー痛みの表象におけるそれぞれの働き」には、
ある種の現実はフィクション化することによって初めて理解できる‥。
上記に引用される『哲学の<声>』スタンリー・カヴェルは、優れた音楽家であった母親について、
‥‥母が持つ読譜能力についての私の描像、つまり自分の前におかれたいかなる楽譜にも生の息吹を吹き込むことのできる母の能力のことである。私の考えでは、それは演奏上の特技というようなものとは違う何か別種のものである。それは、(彼女自身の意思をも含め)あらゆる干渉を寄せ付けることなく、楽譜に盛り込まれた精神によって身体を動かされるに任せる能力である。
つくる、ということ、人にとって作るとは何か?
節目節目に考える。そして、いろんなことをやってみる、いろんな人と出会う、また、考える。その結果、出てくる新しい働きかけは、プログラムやフレームワークは同じでも、自ずと違うものになる。
もう少ししたら、一つ一つのプログラムについて、詳述していけると思います。
10:18
『15少年漂流記』を覚えていますか? 私は小学5年性の時に夏休みに感想文を書きました。 それ以来、『2年間の休暇』を含め […]
『15少年漂流記』を覚えていますか?
私は小学5年性の時に夏休みに感想文を書きました。
それ以来、『2年間の休暇』を含めて何冊かの異なる翻訳本を手元に置いています。
ちなみにヒルダ・ルイスの『飛ぶ船』も、大好きです。小学2年性の時に自分で初めて一人で本屋さんに行って選んだ。田舎道。
ここのところ、よくこれらの物語は何だったんだろうと考えます。ベルヌはなぜこれを書いたんだろう?
(私はベルヌのような人、ヒルダ・ルイスのような人に会ってみたいとねがっています。ついでに、デラメア(この人のことについてはまた書きたい)にも。 「盗まれた飛行船」は、今はなき吉祥寺のバウスシアターで見たっけ。迷作?名作?)
15少年は、こども「たち」の冒険譚で、精神科医のサリヴァンが(うる覚えだけれど)前期思春期の少年たちのギャング時代がその後の精神の成熟にとても大切、と言っていることも重なります。大人の庇護や目線のない否応無しの場面で、やっと、人間の素の顔が見えたり、潜在する可能性が発現したり、創発される。その背景や前景にはその子供だけの大きな物語があるはず。サリヴァンは、大人になった時にギャング時代が大切、と言ったとして(うる覚え)それにしても、子供は大人になるために生きているとも思っていなかったはず。子供はその瞬間瞬間に、全体として一つの人格であると、私は思う。もちろん、一人じゃ生きられないけどね。
でも、数年、小学校の授業に関わって見えてくるのは、私自身のもつ 「こどもらしさ」 に対する勝手な幻想や思い違いと同時に、埋没するその子自身の個性。愛されることと相手におもねることが背中合わせ、つまり、こうしていたら愛されるはず=愛されないことの怖さ、なのかな、と思ったり。愛されたくて暴れている子供はまだわかる。そもそも、愛されること、などから遠く離れてどこか遠くの世界にいるのかな?と思える場面などなど。
大人と子供の距離がなんだかよくわからない。子供は大人の顔色を見ることをよく知っている。この人は気に入っているのかいないのか。そして、無自覚にも、私自身がそのことに寄りかかっていたな。おもねていたな。
そこで、今年の小学校のプロジェクトは、これまでのやり方を180度転換。このことに無責任に関わっちゃいけない。
副題は全て、15少年漂流記。
子供の、あるかないかの願いを大人の力で形にするのではなく、結実しなくてもいい、とにかく、自力でやってみることを肯定する。答えはない。
これまで限られた時間に何かしらの「かたち」にすることに大人は奔走してしまった。もちろん、もちろん、これは悪意ではない。普段の授業ではできないことはできたし、そこでの大人と子供の、家庭や学校にはない関係はとても大切ともいえる。でも、これって、大人の満足? これは、ここまでいろんなプログラムを作ってきた私自身の大きな反省。
そして、最も大きな契機は、複数の小学校の先生から、今年、改めて聞いた。大人の指示を待ち、顔色を見る子供たちのこと。
言われた通りにやったから良いでもなく、手伝ってくれてありがとう、でもない。もっともっと、小手先ではない何かを探してみたい。
学校でのプロジェクトは、かかわる大人自身が自分の欺瞞を問い返す機会となることも多い。でも、この場は大人の学校でも大人の自己表現の場でもない。
そんなことを、これかで参加してくださった皆さんとも語りたい。
本当の意味の、尊厳って、なんだろう? この社会で、子供の尊厳、人間の尊厳が大切にされるってどういうことだろう? って。