ギャラリー情報

煙を立てる

2019年5月15日(水)〜 2019年5月19日(日)

宮ヶ丁 渡

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『煙を立てる』という言葉には炊事のためかまどの煙を立てる意から「暮らしを立てて行く」という意味がある。いつごろから使用されていたかは定かではないが、室町時代の連歌用語辞書・藻塩草(一五一三年頃)にすでにその表現を見ることができる(「煙をだにたてかぬる わび人の体」)。この慣用句の誕生から随分と時が経ち、当然暮らしも変化した。例えば通信技術の進歩によって人々は日常の出来事を気軽に発信できるようになった。慣用句に倣えば、かまどから立ち上る煙を積極的に飛ばし、不特定多数の人々へ届けるようになったのである。もっとも、煙が古くから通信手段として用いられてきたことを考えれば、『煙を立てる』という句にはすでに発信することが含意されていると言えなくはない。それを踏まえて以下のように修正したい。

  【煙を立・てる】けむりをたてる
  〔かまどの煙を立てて人目に曝す意から〕
  暮らし立てながら、それを発信すること。

「日常を発信すること」が日常となった今、食べた物や行った場所、日々の愚痴などあらゆることが流布される。だが結局のところ人々が他者へと伝えたいことは一つなのだと思う。

 「私はここにいる。」

今日も無数の煙が立ち上っては、大気に溶けていく。

宮ヶ丁 渡 Wataru Miyagacho

1986 富山県生まれ、 2013 多摩美術大学大学院修了。2017 – 2018 公益財団法人吉野石膏美術振興財団の助成によりベルリン滞在。

Website>>https://watarumiyagacho.jimdo.com


風下にいる皆様へ

この便りを読んでいるということは、私の立てた煙があなたの元へ届いたということですね。風が強く吹いていたために思いのほか沢山、あるいは遠くまで届いているかもしれません。この煙は私の焚いている火から出たものです。どうかお時間が許しましたら、流れてきた煙を頼りにその火をご覧にいらしてください。燃える火の熱さや鮮やかさは間近でのみ感じられるものです。ただし近づきすぎて煙が目に沁みぬようご注意願います。

     風上より自己愛を込めて