2017-09-22

今日はアサダさんと新聞制作のための対談で… | 2017-09-22 23:17:18

今日はアサダさんと新聞制作のための対談でした。
対談、なんて名ばかりで、私が聞きたいことを聞きたいままにアサダさんに聞いていました。

記憶を思い出すことってどんな出来事なのか。思い返したくない記憶、語りにならない、なれない記憶もあるけど、それでも思い出す意味はどこにあるのか。他人の記憶から、自分の記憶へ。自分の記憶から他人へ、私たちはどう理解していくことができるか。それって結局想像力の話なのか、とか。
根本的なところで、本当に人と人はわかりあえるのか。

トーマス・マンと渡辺一夫の寛容についての言葉。あとなぜだか読みたくなったchim↑pomのなぜヒロシマの空をピカッとさせてはいけないのか。記憶と表現について、色んなことを思います。

夕方から、野口さん、メディエーターの須藤ファミリー、市民公募で応募してくださったお二方がいらっしゃって、みんなで企画と記憶について、話し合いました。

野口さんの
「くりかえすということ」という言葉や、
「約束を失」って、人は死んでいく、ということ。だとしたら、私の息子はいま約束をひとつひとつ確かめるように毎日学んでいるのだなと。約束は記憶なんでしょうか。

こんなに毎日毎日記憶、そのことをずっと考えていて、ある意味私は記憶を食べて飲み込んでるんじゃないかとか、消費された記憶はどこに行くのだろうとか。表現は記憶を燃料にしているのかもしれないなと、思いました。

たくさん話して、考えて、脳がちょっと限界。記憶について語ること、語りを聞くことは簡単なことじゃないと思うのです。