2018-01-24

インタビュー2つ。そのうちの一つの出来事… | 2018-01-24 09:03:29

インタビュー2つ。そのうちの一つの出来事。

アーツカウンシル東京からの依頼で、アートフルアクションのような活動の現場の声を聞く、ということで、40時間近くインタビューを重ね、一つのまとまりのある原稿を作ろうとしています。そのためのインタビューと対談収録。

テキストの束はおおよその骨格が出てきて、あともう一踏ん張りかな、と思っている。けれど、この、あともう一踏ん張り、が大切かな。
誰に向けて、とか、どんなことを、というオファーはあったけれど、そのオファーに応えるだけではなくて、本当に、何が伝えられるのかな? もう一度、自分で考えて大切なこと、必要なことを重ねて行きたい、そのためにはどうすればいいか?と。考える。

自分にダメ出し。そんなことを口に出したら、ふと、隣にいた人から、自分は自分のためにもまだみぬ誰かのためにも原稿は書かない、自分にとって、ここにいる誰か、を思って、その人に向けて書く、と。たくさんの著者のある人。しかも工学系(まじかよ)。でも、なるほどね。それは正直になれるかも。無駄なものが削がれるかも。茫洋とした誰かに向けるのではなく、茫洋とした誰かからの批判を恐れるのではなく。そして、逆に、たった一人に向けることでそれが普遍性とまではいかなくても、説得力と広がりを持つかもしれない。面白いこと。一つのアイデア。

もう一つ面白かったこと。
ずっと大昔、ピナ・バウッシュのカフェミューラーをテレビで見た。ピナ初体験。そのとき、小さな画面から、ふと、人は赦されてもいいと感じたという話をカウンシルの担当の李青くんにした。そしたら、李青くんから、田口ランディの著書に、飯館村に一人で住んでいる若い女性が、ピナのあるポーズが気になって、一人でなんどもやっている。あるときそれはピナ・バウッシュの愛のポーズだと誰かに言われて立ち止まったという記述があると紹介された。なんとなく話が繋がった。

つまり、対談の最中、私がよく仮説ということについて話すけれど、それって何?という質問に対して、もちろん、一つ一つの現場で、こうしたら面白いとか、これやったらみんなどう思うかな、といったことはあるけれど、それは仮説にまで昇華されていない。きっと、愛は可能か?ってことなんだろうって、私。そこで、一同爆笑、ではあるけれど、それはおそらく、存在そのものを全体として赦す、あるいは赦し合うということの可能性なのかな、それが私の仮説なのかな、と思った。みんな爆笑しているけどね。

この日は戦争の話、愛の話、表現の話。でも、真摯な人たちと真摯に話せたことはとても嬉しい。道路が凍った寒い夜にわずかな幸福も。次に進もう。