4年ほど前の前原小学校の活動の整理をしています。もう、彼らは中学生。
寒い雪の降る日に野川を歩きました。別の日には、野川の脇に溜まった水たまりが、橋の上を人が歩くたびに振動すること、振動が影になって壁に映ることを発見しました。懐かしいな。
その発見や出来上がってきたものに対して大騒ぎすることも、なんだかしたくはない。何も出来上がって来なくても、褒めることがなくても、問題ない。ただ、ひたすら、彼らの歓声や困惑の脇に佇むこと、彼らの内部にどんなことが起こっているのか、少し離れて思うこと、ちょっとした表情の変化を受け止めること、決してわかった顔をして立ち入らない、そんな時間。
毎年の感想文にも目を通しています。
雪の野川の翌年、楽器を作るワークショップをした時の感想。
中に、
「音を絵で表せば、耳の聞こえない人でも音が少し分かるから、いいなと思いました。」という一文がありました。
限りなく、大げさな出来事にしないで、子供を取り巻く「問題」みたいな言い方をしないで、大人の価値を持ち込まないで、何かをしてあげられる、なんて思わないで、私がそこに沿わせてもらうことの大切さを知る、という方が、なんだかよいように思います。