2018-08-12

8月18日に外で話をします。 そのため… | 2018-08-12 23:38:27

8月18日に外で話をします。
そのために、少し、アートフルアクションでやって来たことって、一体どういうことだったのかなというのを相対化する試みを。
手始めに『ソーシャリーエンゲージドアートの系譜・理論・実践』を。

自分以外の人に考えていること、行なっていることを丁寧に誤解なく伝えようと思ったら、物事の定義や範囲、範疇を明確にすることは大事だよね。

クレア・ビショップを引いて「参加者を挑発しようとする伝統的な作者性と集団的創造性を受容し、作者性を排除する系譜」を分類する、とある。「作者性を排除する系譜」は、確かに私たちがアーティストを特別視しないで目指して来たことと少し重なるところがあるのかもしれない。でも、それを厳密に分けて説明することがどれだけ大事なのかな、可能なのかな。最初に意図したことはそうだったかもしれないけれど、関わった人の体験として、それはどういうものとして作用するんだろう?

なんとなく、あくまでもなんとなく(あえて)、だけれど、何をしようとしているのかが描かれずに、その二つの別の重要性を説かれても少し違和感があるな。何を試みようとしたのかな(目標の成否じゃないけど)、そこのところがわからないと、その両者を厳密に選別しようとしても、なんだか「なぜ」?って感じが拭えない。もうちょっと考えてみよう。それから、私もすぐにそういう風に言葉を使ってしまうけれど、ここで「社会」とか「参加」が、あまりにも当たり前のように語られちゃうことも、社会って何よ?とりあえず、みたいな気持ちになってしまうね。

難しいなあ。これも、また、継続審議。