2019-08-26

アーツカウンシル東京の佐藤さんとの対話か… | 2019-08-26 06:28:06

アーツカウンシル東京の佐藤さんとの対話から、テッサ・モーリス=スズキさんの『世界を再想像する』(福岡市立美術館)を見る、読む。

キュレーターの正路さんが、展示に際してこのテキストがテッサさんから送られてきて、図録に収録できたことが大きな喜びである、と書くのもとてもよくわかる。そして、もしかしたら、今、さらに、私たちの立つこの場所を照らしてくれる一文なのだろうとも思う。

このテキストが終わってしまった展示の図録にひっそりと立ち続けていることを、少し掘り起こして行けると良いのだろうと思う。ブレイクのくだりを少しだけ。

ーー
(略)

今日の世界政治に明らかにかけているのは想像の能力であろう。現在にいたるまでの道程のどこかで私たちは夢を失ってしまった。グローバル化された世界は巨大な商品経済のシステムによって規定されるようになり、政治と文化はそれにほとんど抵抗を示さない。グローバル資本主義のパワーが政治的想像力を抹殺したのである。それは1980年のイギリスの首相サッチャーが掲げたスローガンによって要約される。
「他に道はない(there is no alternative)」

他の国と同様に現在の日本の政治世界では、オルタナティブは忌避され、創造性を持つ想像力は圧殺される。政治的言説では偏狭な意味だけを有した「国益」という言葉が濫用され、結果として外側世界との摩擦は深まる。

政治は、まるで「恐怖」によって動かされているようだ。「他者への恐怖」「未知なるものへの恐怖」、それだけではなく「自分自身に対した恐怖」。
世界の国々と同じく、日本は新しい夢とヴィジョンを必要としている。
それはどこで見つかるのか?
それは、政治の境界を超えたところ、いや、「政治の境界」自体を描きなおして再想像したところを探さなくてならないのではなかろうか、と私は考える。

(略)

美術には、より良い生のヴィジョンを求める特別な位置がある、と私は考える。それは、視覚と神経と脳を物理的に結びつけるだけでなく、想像の力を刺激し想起させることにより、私たちを囲む世界を明示してくれる。想像力がなければ、現前にあるもののほとんどは見えていない。

「ある人を感動せしめて喜びの涙に至らしめる木も別の人には道路に立ちはだかっている一個の緑色のものに過ぎないのです。ある人は自然を全て笑い草であり畸形であると見ます。(中略)また、ある人は自然を全く見ないのです。しかし想像の人の目には、自然は想像自体なのです。」と詩人ウイリアム・ブレイクは書いた。

美術は、自然とヒューマニティーを可視化して、不可能なものをリアルに転化して。まさしくその理由によって私たちの夢を不可視なものにしようとする社会的政治的障壁を取り壊していく。

(略)

ーー

2014年に(それはつまり、9.11も、3.11も経験したのちではあるのだけれど)、テッサさんは「政治は、まるで「恐怖」によって動かされているようだ。「他者への恐怖」「未知なるものへの恐怖」、それだけではなく「自分自身に対した恐怖」」、と書く。

不安と喪失と茫漠とした無力感に向き合うためには、織物を織るように手を動かし、糸や布、さらに、「何か」を折り重ね、心を空にし、そして、違うもので満たす、に似た、そしてそれぞれの人に寄り添う営みが必要なのかもしれないと思う。

継続‥。

図書館で見てね。