平塚の美術館でやっている「リアルのゆくえ」展に行ってきました。
去年の本町小学校のプロジェクトでも、「描くということ」の意味について、参加した方々と考えてきました。この展示でも考えることたくさん。
入り口の高橋由一と磯江毅‥。1800年代の末から1900年代始めに生まれた人たちの絵と展示最後のコーナーに現れる比較的若い人たちの作品との違いってなんなんだろう。写真や映像が溢れ「見ること」の意味が変わった(かもしれない)時代に生きる今日の作家たちが否応無しに体現してしまう見ることそのものの有り様の違い?について、考えてしまいました。
一見すると地味な展覧会かもしれないけれど、一つ一つの作品の密度の高さと、結果として、全体に、なにやらとても重量のある展示だった気がします。
チケット売り場で見た高野野十郎の図録「遺稿」に惹かれ購入。描くということすなわち生きることなんでしょうが、それにしても、帯にある「甘美な世捨て」だったのかなあ。