2017-05-29

物事の「種」と言う言い方はよく目にします… | 2017-05-29 22:12:47

物事の「種」と言う言い方はよく目にしますね。

話の種、みたいな感じ。そして、「種」は育つ、と言う、なにやらベクトルを感じる。

種が育って、次の世代を育てれば、それはそれでいいのかもしれないね。

ミソ、は、ただ、ミソ。育つと言うより、そこに何かいつもある。それ自体が熟成するかもしれないけどね。

何かやってみようっていう時、まずは、材料ややり方を調べたり、他の事例にヒアリングしたりってことは当然だけれど、私たちは実際にやってみるってことをずっと大切にしている。例えば、木で船を作ろうって時、桜の木がいいのか、ヒノキやケヤキがいいのか?何となく、ヒノキやケヤキの方が柔らかそうな気がした。でも、実際に二つを試してみると、針葉樹は木の繊維が縦にばっかり強くて、形にバリエーションが出てこない。作家の助言も得て、硬いけれど、きちんと切れる道具が揃えばむしろ安全な桜の木を使うことにした。その過程ではやってみないとわからないことがたくさんある。

子供達に手渡す前に、どの程度の難しさか? どんなサポートがあるといい? 何回くらいでできるかな? この過程からどんな発見があるか? いろいろな過程を踏まえて考える。

具体的なプログラムの前のおおもとの、どんなことを子供達に伝えたらいいのかな、を考えることと実験を往復すること、その経験の蓄積も、次のミソかもしれないな。