2017-06-05

近くの大学の先生とこれまでお世話になった… | 2017-06-05 23:26:26

近くの大学の先生とこれまでお世話になった小学校の先生と教育系の学会にこれまでの地域と教育現場の連携の事例から、課題と可能性とを巡って発表をしようかと、相談中。

小金井の場合には、授業の企画や材料調達などは、各学校の先生と相談して、かなりの割合をNPOが担ってきた。それは小金井市には芸術文化振興計画があって、それによって財源も、方弁も立つから。なので、いきなり一般化することはできないけれど、この間の経験で、もっとも必要なことは、NPOの中間支援者としてのあり方ではないかとは思う。

中間支援って言葉は、なんだか少し堅苦しくて苦手だし、「支援」っていうのも、何だか高飛車な気がする。それは置いておくとして、もう少し、右と左をくっつける、とか、どこかから何かをとってきて、the「紹介」する、ということだけでない、見えない需要を切り開くことが、可能性としてあるんじゃないかとも思う。

たとえば、デザインとか設計という行為は、目的を定めて具体的なものを作る(たとえば図面を書いてプロトタイプを作ってヤカンを作る、とかね)ということだけではなくて、何が欲しいかよくわからない人たちに対して様々な事例(たとえば柄杓とかバケツとか、手で水をすくってみるとか、頭からか水をかぶってみるとか)を引きながら、用途を聞きながら(たとえば、花に水をやる、とか、お燗をするとか、お湯を沸かすとか、コーヒーを入れるとか、、足で持つとか)、行為を連想しながら、結果として新しいヤカン像を作ることかな。

あるいは、デザインとはこのプロセスの中で、ヤカンの底に穴を開けて、植木鉢にする方がどうもいいらしいとか、天井から吊ってみようとか、全く想定されていない用途を自ら導き出すようになプロセスそのものではないかと思う。そして、さらに、そのもの(ヤカン)を作ることで、自分の日課や振る舞い、価値観が変わるようなことだってある。

単に、右のものと左のものもマッチングさせるだけではない、出会い方や発見ができるといいな、と思う。そして、この方法は、シンプルな課題解決(知っている人が知らない人に教える、たくさんありすぎる仕事を手伝う‥)だけではない、根本的な発想の転換から、新しいヴィジョンを導き出すことにつながっていかないかな、と。

もうちょっと、https://www.codeforamerica.org/ も、学んでみようか。そもそも、人が物事を学ぶって、何だろう、とかね。教育系の学会だし。