ギャラリー情報

BENZO ESQUISSES 1920-2012

2024年12月4日(水)〜 2024年12月22日(日)

弁造 , 奥山淳志

cover image

トーク:2024年12月22日(日)14:00から ゲスト奥山淳志さん

 

庭とエスキース』という本がある。
造園屋の私にとって、この本はとても心に響き刻まれる本だ。人が生きることと庭を、あるいは森を、山を考えている。本を手にとって、ずっと考え続けていた、森の中でひとりで生きることをその中にみた。弁造さんだ。

「エスキース」は、もちろん、展覧会を開催することのなかった弁造さんの絵のことだろう。けれども、それだけではなく、庭(弁造さんの庭は森全体だ)を育むための、生きるための様々な手の仕事、なすべきことの設計図のようにも感じる。

また、それは完成を求めるための設計図とも違い、記憶、手を動かした軌跡の中にある気づきの感触でもあるかもしれないと思った。『庭とエスキース』の、「と」には、いろんな意味を想像することができる。

そして、もうひとつ、弁造さんに向けられた奥山さんの眼差しがある。奥山さんの文章を読んでいると、弁造さんの丸太小屋の暖かさや匂い、音が聞こえてくる。森の中に溶け込んだ木造の小さな窓にさす光も目に浮かぶ。なんだか、とても不思議な世界だ。弁造さんのまっすぐで暖かい眼差しが心を打つ。

弁造さんが亡くなって、奥山さんが弁造さんの絵と共にいろいろなところを歩んでいることを知った。ぜひ、亡き弁造さんに会ってみたい、弁造さんと共にある奥山さんと話してみたいと思った。

本展は、弁造さんの絵画と奥山さんの写真で構成される。
そして、観る人ひとりひとりの中にある森や山、川、深い池、海、生き物たちの、誰かとの、あるいはひとりで生きた記憶もきっと展覧会をかたちづくる大事な要素だ。
(宮下美穂 KOGANEI ART SPOTシャトー2F)

弁造さんの絵のモチーフはいつも女性だった。描かれる女性にはモデルはなく、想像の中の女性だった


弁造さんが逝ってしまってからも繰り返し庭を訪ねてきた。庭は変わり続けているが、どこかに弁造さんの気遣いを宿しているようにも思える

今回の展示では奥山淳志さんの写真作品および、弁造さんのエスキース(原画)作品、作品集『BENZO ESQUISSES』等の販売をいたします。

弁造さんのエスキース販売について 奥山淳志

ひとつの思いがあって、弁造さんのエスキースを販売することにしました。
2012年の4月に弁造さんが亡くなり、僕は弁造さんのエスキースを僕が暮らす岩手に持ち帰りました。生前、弁造さんはその絵について、「わしが死んだら燃すなり好きなようにすりゃあいい」と軽く言い放っていました。それは「死んだら無になる」が信条の弁造さんにとっての本心だったと思います。実際、弁造さんは死後、自分が暮らした丸太小屋と納屋を解体するための費用を残していました。弁造さんは、自分の死とともに絵も無にかえそうと計画していたのです。僕もその当時はそれが弁造さんらしい判断だと感じていました。
しかし、弁造さんが実際に亡くなってしまうと、僕は弁造さんのエスキース、手書きの手紙、メモといった弁造さんの存在を強く宿すものをかき集め、持ち帰ることにしました。『庭とエスキース』にも綴りましたが理由は、弁造さんの記憶を宿す物のすべてが無くってしまえば、弁造さんが存在したという事実さえも失われる気がしたからです。
以来、僕はずっと弁造さんのエスキースとともに生きてきました。おかげで、僕は弁造さんが愛した絵の世界を常に感じながら生活することができました。それは、この胸の奥から弁造さんのあの甲高く人懐っこい声が聞こえてくるような、そんな日々でした。
一方、心配もありました。それは僕が死んでしまったら、このエスキースたちはゴミになってしまうのだろうなという簡単に想像できる未来でした。すべてのもの、すべての存在が消えてなくなると考えれば、それはそれでいいのだろうという思いもないわけではありません。しかし、画家としては全くの無名で逝ってしまった弁造さんのエスキースが死後もこうして僕の手元に残り、しかもいくつもの幸運が重なって「弁造さん」という存在が多くの方々が愛されるようになった今であれば、さらなる幸運も夢見ることができるのではないかと思うようにもなりました。
ずっと、「弁造さん」は僕の弁造さんでした。しかし、僕が不思議な縁で巡り合うことができた「弁造さんの生きることを見つめた日々」を写真や言葉で表現していく過程で、「弁造さん」は「みんなの弁造さん」になっていきました。この奇跡(僕はいまだにそう思います)を思うと、弁造さんが遺したエスキースも「みんなのエスキース」になることができるのではないか、そう考えるようになっていったのです。
そして、たどり着いたのが、今回上梓する『BENZO ESQUISSES 1920-2012』を機に僕は弁造さんのエスキースを手放そうという決心でした。と同時に、誰かが弁造さんの記憶が宿るエスキースを大切に思い、暮らしのなかに迎え入れてくれたらと願いました。無名の画家が描いたエスキースの価値など、もしかしたら落書き同然なのかもしれません。しかし、弁造さんの生きることに共感する方々が、弁造さんのエスキースとともに新しい日々を歩んでいくという未来を想像すると、「他者と出会うこと」が秘められた不思議な力を僕は覚えます。
今、友人の木工作家に弁造さんが板に描いた油絵を収めるオリジナル・フレームの製作を依頼しています。弁造さんが描いた女性たちは、木の香りのする美しいフレームに飾られて、どのような人に出会うのでしょうか。エスキースの女性たちが新しい家で目を輝かせるその光景を僕が見ることはきっと叶わないでしょう。しかし、それを想像することで、僕は胸の内に存在している弁造さんに今日も語り掛けることができると思うのです。

 

 

 



奥山 淳志 おくやま あつし
写真家
1972年 大阪生まれ。京都外国語大学卒業。
1995~1998年 東京で出版社に勤務した後、1998年、岩手県雫石に移住し、写真家として活動を開始。以後雑誌媒体を中心に北東北の風土や文化を発表するほか、近年は、フォトドキュメンタリー作品の制作を積極的に行っている。

受賞
2024年『第32回林忠彦賞』受賞
2022年『令和4年度 岩手県芸術選奨』受賞
2019年『第35回 写真の町 東川賞 特別作家賞』受賞
2018年『2018年 日本写真協会賞 新人賞』受賞
2015年『第40回 伊奈信男賞』受賞
2006年『フォトドキュメンタリーNIPPON 2006』(ガーディアン·ガーデン)選出
著作
2023年『BENZO ESQUISSES 1920-2013』私家版
2021年『動物たちの家』みすず書房
2019年『庭とエスキース』みすず書房
2018年『弁造 Benzo』私家版
2012年『とうほく旅街道』河北新報出版センター
2006年『フォトドキュメンタリーNIPPON』ガーディアン·ガーデン
2004年『手のひらの仕事』岩手日報社刊
2003年『岩手旅街道』岩手日報社

本企画は、アートフル・アクション主催の企画です