起こったこと、行ったことをどのように伝えたらいいのかな?というのは、積年の課題。
『火を生んだ母たち』(葦書房)を読んでいます。炭鉱で、苛烈な人生をおくった女性たちへの聞き書き。厳しすぎて、途中で何度も何度も苦しくなるのですが、方言で書かれた文字からどんどん情景が浮かんできます。著者の思いの反映なのか?文字で伝える奥行き。
もう一つ、砂連尾理さんの『老人ホームで生まれた<とつとつダンス>(晶文社)も、身体の表現と身体を介したコミュニケーションをどのように、文字という媒体を通して伝えるか?それから、彼のドイツ留学の時の、日本語的考え方とドイツ語的考え方の相違を、英語を通して伝えるという、齟齬×齟齬のお話も面白い。
そして、もう一つ。先日のノーベル賞の授賞式の映像に触発されて、書棚から『ジャスト・キッズ』パティ・スミス(河出書房新社)を。メイプルソープとの出会い、こんなニューヨークは今はもうない、という感慨(?)。そして、パティ・スミスが、小さい頃母親に連れられて行った池で白鳥を見た時の記述。手を引かれるくらいの年齢で、大変うつくしい白鳥を目にした時、彼女は欲望を感じたと書いています。多分それはとても小さい時のこと、そしてそれを覚えているということ、さらに、うつくしいものとの出会い方を、極小さいと気に体感する感受性。面白いなあ、と思いました。