小金井と私 秘かな表現 '17 想起の遠足
小金井市芸術文化振興計画推進事業
小金井と私 秘かな表現 2017年度ツアープログラム
「想起の遠足」
―このまちの「記憶」からあのまちの「記憶」を手繰りよせる日常ツアー
いま歩いているこの坂は
かつてのあの河辺へと続いている
デジャヴュとも言い切れない
この感覚を触発するものは
きっと知らない誰かの記憶と
わたしの記憶との擦れから放たれる
熱のような見えない存在
その在り処を確かめるために
地図と水筒をリュックに詰め
この何も変わらない日常で
ただただ「遠足」をすることに決めた
ゲストディレクター アサダワタル
(文化活動家・アーティスト)
17日(金)19時~22時 プレトーク&プレ遠足「想起の夜遠足」
18日(土)10時~夕暮れ時 想起の大遠足 ―思い出すために歩く小金井市内○○○マイル―
19日(日)9時30分~19時 想起の遠足コレクション
参加費 各日500円(3日通し参加の方は1000円)
※小学生以下は無料です。
(※全プログラム雨天決行。但し内容の一部を変更して実施します)
持ち物(原則):水筒、おやつ(300円以内)、レジャーシート、雨ガッパ、歩きやすい靴
*
ゲストディレクタ―:アサダワタル(文化活動家・アーティスト)
遠足案内人:安達優哉、石川明代、伊藤由実、河村宏、シマダカズヒロ、須藤正樹、須藤みどり、須藤菜々子、田中ロナ、環笑子、長澤麻紀、久田浩司、平田絵美子、宮内真希
アートマネジメント:荒田詩乃
アートディレクション&デザイン:橘川由里絵、四方田七穂
協力:画像(地図)提供 武蔵野から編集室
本プロジェクト ゲストディレクタ―:アサダワタル
1979年生まれ。音楽を始めとした「表現」をモチーフに、全国各地で様々なコミュニティプロジェクトの企画演出と執筆を行う。主な著書に『住み開き』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ』(木楽舎)、『表現のたね』(モ*クシュラ)など。また、サウンドメディアプロジェクト「SjQ/SjQ++」のドラマーとして国内外のアートフェスに出演し、アルス・エレクトロニカ2013デジタル音楽部門準グランプリ受賞。現在、大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員、博士(学術)。2017年9月に小金井市に移住。二児の父。
https://www.kotoami.org/
お知らせ・関連資料
- 2018.08.05「小金井と私 秘かな表現 想起の遠足」プレトーク データについて
- 2017.11.12「想起の遠足」 当日プログラムがダウンロードできます
- 2017.10.30「想起の遠足」当日運営サポーターを募集しています
- 2017.10.27「小金井と私 秘かな表現 想起の遠足」を開催します
- 2017.08.23「想起の遠足」説明会を開催します。
- 2017.08.22「小金井と私 秘かな表現」新シーズン始まります&記憶の遠足企画を募集します
関係するアーティスト・研究者
関係する場所
スタッフ
主催:東京都/小金井市/アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)/NPO法人アートフル・アクション 助成:一般財団法人地域創造 平成29年度 文化庁 文化芸術創造活用プラットフォーム形成事業 企画制作:NPO法人アートフル・アクション
*本事業は「小金井市芸術文化振興計画推進事業」及びアーツカウンシル東京「東京アートポイント計画」の一環として実施しています。
2018-02-13
14:08
2017-11-18
21:09
本日は、想起の遠足2日目のプログラム「想起の大遠足」が開催されました。
お天気が心配でしたが、しのさんが作ってくれたてるてる坊主や想起の妖精さんの力で、ひどい雨になることなく、無事に終わることができました。
イベントの様子は想起の遠足公式ブログをご覧ください( https://recallkoganei-hiking.blogspot.jp/ )。
シャトーや想起の遠足インフォメーションセンターでは、ひと息つく間も無く、明日の準備が進んでいます。みなさん遅くまで本当にお疲れさまです。
明日はいよいよ最終日。「想起の遠足コレクション」。これまでメンバーたちがミーティングやリサーチを重ねて作ってきた数々の遠足が本番を迎えます。どの遠足も面白くなりそうで楽しみです。
2017-11-04
18:54
想起の遠足、事務局が足りていなくて色々ダメだなあとか、できていないなあ、私はひとりでてんやわんや、悲喜こもごも、していたのですが。
事務局が頼りない?(スミマセン)ので、メンバー同士のつながりや強くなったり、事務局が企画メンバーにむしろ助けてもらったり、そういうことがたくさんあります。
そうか、足りないということは悪いことばかりじゃないのかも。と。むしろその条件からこそ生まれる状況や繋がりがたくさんあるのだな。開きなおりではないですが、それはそれでとても素敵なことだなと、思ったりします。
誰かがへこむとそっと誰かが助けてくれる。そう、みんなでプロジェクトをやってるんだよね。忘れないようにしたいなあ。
想起の遠足。あと二週間になりました。ぜひ遊びにきてくださいね。
00:39
想起の遠足は市民の人たちがそれぞれの記憶に基づいて遠足ルートを作っています。
当然のことながら、記憶は同じものはありません。
どんなルートとどんな記憶なんだろう?遠足のルートをお知らせする遠足のしおり印刷中。
それぞれの遠足、秀逸。遠足チラシ、小金井市内、市外の文化施設などにも配布予定。しおりを持って遠足、きてくださいね。
2017-10-27
09:31
想起の遠足が進んでいます。
遠足が進んでいる‥。
遠足のプログラムも、ですが、遠足に出て行く先の市民の人たちの暮らしとどのように触れ合うことができるのか、他者の記憶とどのようにすれ違うのか?考えてきました。
具体的に歩いて行く先や、話を伺う市民の方を探すために、参加してくださる市民の皆さん、スタッフは市内でリサーチやインタビューを重ねています。
それらの大変貴重な出会いとともに、もっと広く色々な人に参加して欲しいということで、「想起の掲示板」が設けられています。
http://recallkoganei-hiking.blogspot.jp/
おもしろいな。
わかり合うことや出会うことはなかなか難しいけれど、遠くに、近くに、いろんな思いを抱いた人が暮らしているということが想像できることは、もしかしたら、励ましになったり、ちょっとした微笑みになったり、そうだよね、と一人呟く瞬間になったりする。これは大事だ。
2017-10-06
08:10
これをプロジェクトの準備というのか、本番というのかわかりませんが、想起の遠足に向けて打ち合わせの風景です。
もちろん、the本番というものがあり、準備があるのですが、この経験自体がそれぞれの人にとっての本番ですね。
コミュニケーションに必要な道具、方法も内容に即して、何が一番「理解」とある点での「合意」を作りやすいか。今日は紙ではなく、モニター。うーん、うーん、と、唸っている。でも、それぞれの回での道は見出していくから面白い。
2017-09-23
09:42
思い出したくない辛い記憶があるとして、それを語るのは苦しいことなんじゃないかなと思っています。
このプロジェクトで記憶を語ることに向きあい、辛い記憶を語ることをどう考えるか、と思ったとき、戦争体験や、震災の記憶を語ることはどういうことなんだろうな、と思いました。
語り手の方の語りつがなければならないという思いから、記憶を語るのは苦しいことだけど語ってくださっているのか。それとも、語ることを繰り返すことによって、記憶は物語になってゆくのか。辛い記憶が物語になっていったとき、それは救いになりえるのか、。
救いになるといいな、なんて、とても身勝手なことですが、一人ではなく、誰かと語りをくりかえす場を街に作ること、その意味を考えたいです。
今日は記憶の遠足企画のリサーチに行きます。
前回に引き続き、曇りのち雨模様です。
2017-09-22
23:17
今日はアサダさんと新聞制作のための対談でした。
対談、なんて名ばかりで、私が聞きたいことを聞きたいままにアサダさんに聞いていました。
記憶を思い出すことってどんな出来事なのか。思い返したくない記憶、語りにならない、なれない記憶もあるけど、それでも思い出す意味はどこにあるのか。他人の記憶から、自分の記憶へ。自分の記憶から他人へ、私たちはどう理解していくことができるか。それって結局想像力の話なのか、とか。
根本的なところで、本当に人と人はわかりあえるのか。
トーマス・マンと渡辺一夫の寛容についての言葉。あとなぜだか読みたくなったchim↑pomのなぜヒロシマの空をピカッとさせてはいけないのか。記憶と表現について、色んなことを思います。
夕方から、野口さん、メディエーターの須藤ファミリー、市民公募で応募してくださったお二方がいらっしゃって、みんなで企画と記憶について、話し合いました。
野口さんの
「くりかえすということ」という言葉や、
「約束を失」って、人は死んでいく、ということ。だとしたら、私の息子はいま約束をひとつひとつ確かめるように毎日学んでいるのだなと。約束は記憶なんでしょうか。
こんなに毎日毎日記憶、そのことをずっと考えていて、ある意味私は記憶を食べて飲み込んでるんじゃないかとか、消費された記憶はどこに行くのだろうとか。表現は記憶を燃料にしているのかもしれないなと、思いました。
たくさん話して、考えて、脳がちょっと限界。記憶について語ること、語りを聞くことは簡単なことじゃないと思うのです。
2017-09-19
01:06
土曜日は、遠足のためのリサーチでまちを歩きました。
記憶を思い出すモードになるために、どうしたら、いいのかな、何てことを考えながら、アサダさん、メディエーターの笑子さん、まきさん、楽くん、インターンの日熊さんと小金井のまちを歩きました。
台風が近づいていたから、雨が降ったりやんだり。曇り空の下の一日でした。
私は何故か想起の調子(?)が良く、歩きながら色んなことを思い出しました。
どうして今日はこんなに思い出すのだろうと思って、みなさんと話していて、気づいたことがあります。
本当はいつも思い出してるんだなと。でもそれは言葉にならないぼんやりとしたもので、だから意識にのぼらない。今日は何かのきっかけでそれを言葉にしようと思ったから、話ながら芋づる式に記憶がはっきりと沢山掘り起こされたんでしょう、きっと。
おそらく、記憶を思い出すモードを作るには、思い起こすためのきっかけのボタンを用意することだけでなく、記憶を受けとるお皿を用意することもとても大切なんですね。
さて、そのお皿はどんなものなんでしょう。雰囲気かな。対話かな。ただひとつ言えるのは、人やモノや状況に出会わないと人は思い出すことができません。たった一人でなにもない部屋にいても思い出すことは難しいと思います。
気になること。忘れることも、大切な気もします。芋づる式に記憶を掘り起こして、土のなかに閉まっておきたい記憶まで起こしてしまったらどうしよう。忘れるから生きて行けることもたくさんあります。
思い出すことと、忘れること、記憶はとってもデリケートなことだなあと思います。
2017-09-12
21:26
今日は、よもちゃんがチラシを仕上げてくれる作業の横で私も作業をしながら、途中パン屋さんのカンデルさんに記憶のインタビューをしに行ってきました。
お話を聞きながら、ああ、そっか、だからカンデルのパンはおいしいんだなってわかりました。
それは技術的なことや、パンに向き合う誠実さ、も、もちろんあるのですが、
食べることを通して、そうだ私はその人の人生に向き合っているんだなって、そんなことも感じられるようなすてきなお話がたくさん聞けました。
ひとりひとりの人生の持つ、色んな瞬間や思いや、もう戻れないというかけがえのなさ、色んなものを抱えながらそれでも前を向いて人は歩んでゆくこと。しかもそれを毎日、当たり前のように。
その事を考えると、まちは本当にただのまちではなく、本当になんというか、そのすごさにただどうしようもなく、感動したりします。
うん、私もあなたも生きてきたね、色んな事があったけどね、やってきたね。
ふわっとそう思えるような、遠足にできたらいいなと思っています。とても難しいけれど。
2017-09-05
19:22
集団で思い出しながらまちを歩く、ということをやってみようと思っています。それは行進。思い出すために歩くこと、それは参加する人にとってどんな体験になるのか、そして思い出しながら歩くという風景がまちに立ち上がったときに、それを偶然目撃した人の中に何が生まれてゆくのか。を考えたいなと思っています。
今日はチラシのミーティングをしたあと、遠足のルートを考えるためにディレクターのアサダさん、メディエーターの久田さん、えみこさん、市民スタッフのまいこさんと下見に行きました。
半日、歩くのは大変だなあと思いました。具体的なアイデア、課題などがほんの少し見えてきました。
歩きながら少し思ったことは、
思い出すために歩く、というよりかは、私にとって、忘れるために歩く、というほうがしっくりくる気もしました。それは生きてゆくことに似てるな、とか。
思い出すことと、忘れること、失うことの違いは何だろう。ということも思いました。
何かを忘れても、ふと思い出すこともあるし、
失わないために、忘れることもあるのかもしれないな、とも思ったりします。思い出したくないことも、もちろんたくさんあります。
思い出しながら、まちを歩くことはどんな体験になるのでしょうか。
思い出すことは、一人ではできないと私は思うので、歩きながら、話しながら、もう少し考えてみたいと思います。
2017-09-04
19:12
3日に想起の遠足、市民説明会が開催されました。
会場で出てきた遠足のアイデアをスタッフのきっちゃんが、ひとつひとつ、ライブペイントで描いていってくれました。
1日たって、窓越しに写真を撮ってみると、それはそれは面白い写真が撮れたのでみなさんにおすそ分けします。
私、この写真を撮りながら、ああそうか、秘かな表現ってこういうことなんだなって、思わずにやりとしてしまいました。小金井と私 秘かな表現 は3年間のプロジェクトで、ずっと日常とその表現について考えてきたのですが、なんだかやっと、「秘かな表現」が実体をもって私の中に入ってきたような、そんな感じがこのきっちゃんのガラスの絵にはありました。きっちゃん、ありがとう。
日常にもう一枚レイヤーがかかるような。
普段過ごしていた生活がほんの少しの視点のズレでもっと面白くなる感じ。
でもひそやかに、ひそやかに。こっそりにやりとするような。
日常と非日常のそのスキマ、みたいな遊びの行為。
ああ、それが 秘かな表現なんだなあって、やっと私にしっくりきました。
もうずっととっておきたい、素敵な絵、素敵な風景、だったのですが、
あしたからギャラリーがレンタルなので、涙ながら、私が消しました。
でも忘れない。
2017-09-03
20:38
想起の遠足を市民の方々に説明し、参加してもらうべくプロジェクト説明+公開ミーティング。
説明会、第一回を行いました。
思いがけず、たくさんの?市民の方、他市の方が集まってくださいました。
事業の説明とアイデアを一緒に考える時間。
これまでやってきたことを説明し、メディエーターは思い思いに自分の遠足プランについて説明し、ブラッシュアップしていきます。
もっともっとたくさんの人と(もちろん、数の問題ではないけれど)、この遠足を一緒に歩き、話し、そして、自分の心に戻る時間が得られるといいな、と思いました。11月には遠足を行います。
お楽しみに。
これまでの活動を振り返り、説明し、本当に実感を持って出来事を感じてもらうためにはどうすればいいか?即興だけど、面白い説明のための空間になりました。
参加した市民の方々の思いを、どんどん窓に描いていきました。
そして、外から見たときに見えるように、タイトルも書いてみました。壁の内と外、そこは最もナイーブでデリケートなところなのかな。
2017-08-30
22:17
想起の遠足に向けたミーティング2個。
小さな子供がいてもできることはいろいろある。物事への関わるための方法も、もっともっと工夫できるし、それは創造的であることを要求しもする。
今日は伊藤さん、きっちゃん、しのさん、私、で、まずはもっともっと、いろいろな市民の人たちに、この遠足に参加してもらうためにはどうしたらいいか? そもそも、この動きの存在を知ってもらうためにはどうしたらいいんだろう?のミーティング。スカイプで。
前回のミーティングでは、いわゆるアートプロジェクトに、スタッフとして関わるための腹のくくり方(笑)に話が及んだ。今日はどうやったらもっと多くの人に届くかな、と。
話している先から、出てきたこと、決まったこと、誰がやるのがいいのかな、いつまでにやるのがいいのかな、を、書いていく。終わるときには役割分担の表にもなる。手は考える。
1時間でも皆で話せばいろんな回路が開ける。対話は大事。スカイプだってなんだっていいんだよね。
2017-08-29
20:43
小金井と私秘かな表現 2017 想起の遠足
企画募集が市報(29.9.1号)に掲載されました。
かつてなく大きな紙面です。
記憶をテーマにした市民ツアー「想起の遠足」。
一体何をするんだろうね?
説明会は9月3日と10日、いろんな人と新しい出会いが楽しみです。
2017-08-10
21:21
今日は朝からチラシ作り。
11月に行われる「想起の遠足」に向けて。
我らがきっちゃんがチラシタイトルを書いてくれました。
伝えたいところ、内容によって表現は変わるよね、きっちゃんの手描きのタイトルはとても素敵です。もう少ししたらお目見え。
2017-08-05
17:52
小金井と私、前原暫定集会所でミーティングでした。
今日はメディエーターのメンバーとFacebookグループで出してきたアイデアを、具体的に企画に落としこむにはどうしたらいいか、を話し合いました。
誰かの記憶にインスパイアされること、自分の記憶を思い返すことはセットになってることなのかもなあ、と思いつつ、今度は記憶のツアーを繋げてゆきます。それぞれの物語がつながってゆくように、そこから新しい物語や場を紡いでゆけるように。
また今年も始まります。
たくさんの人や想いに出会うことができるのが私はとてもとても楽しみです。
2017-07-21
23:27
小金井と私ミーティングでした。
Tarlの講義で出会った、佐藤さん、伊藤さんも新しく参加してくださいました。ありがとうございます。
今日は記憶のツアーを作るってところから一度離れて、去年の展示でどんな感覚を得たか、それからどんな感覚を他の人にもたらしたか、という事をみんなで去年のアンケートなどを見ながら話し合いました。
そこからじゃあ今年はどうやってみようか、という話に広がって行きました。
まちやひとの記憶をどうすれば他の町の人に実感として味わう形で届けることができるのか。
例えばそれはしかけだったり、(偶然をデザインする)、話すことを促すことだったり、あとは深さなのかなあとか。解像度をあげてゆくこと、丁寧に掘り下げてゆくことで、逆に一般化されることってあると思う。
また同時多発的に、色んなことがはじまってゆきます。
個人的なことですが、ミーティングが始まる前に、佐藤さんから聞いたお話がとても印象的でした。分断のこと。
2017-07-11
09:47
小金井と私 ミーティングでした。
今回はメンバーの須藤ファミリーが持ってきてくれた人生ゲームをみんなでやりながら、記憶について語り合うことをやってみました。
結婚のマスに止まったらご主人との馴れ初めを聞いてみたり、家を買うマスに止まったら家をたてたときのことを聞いたり。
うんちを踏んで金運アップのマスで、新婚旅行で行ったイースター島で牛のうんちを踏んだ話が出てきたのはおもしろかったなあ。
人生ゲームのあの没入する感じ、老若男女楽しめる感じ。人生は偶然なのだなあとか、意外と人生は短いようで長いなあなんて。
昨年の想起のボタンの展示では、集まってきたたくさんの記憶の断片がひとつの風景を作りました。今年はまちに飛び出してそれが動き出してゆくような、そんな予感がしています。
どう作っていくか、深めてゆくか、その過程もじわじわと楽しみながら進めていきたいです。
わくわく。
2017-05-23
22:59
小金井と私のミーティングでした。
ありえたかもしれない自分の記憶をもとにツアーを作ること。たくさんの分岐点のなかで、様々な偶然をもっと軽やかに楽しめたら、いまの自分を少し好きになれるような気がします。
ところで、中島らもの文章のなかに今日の天使って話があり、どんなにどうしようもなく悲しい日にも、自分を救ってくれるような出来事があって、それは偶然通りがかったおっちゃんの言葉だったり、そんなささやかな天使を1日に一回神様は与えてくれるんだって話なんですが、私の今日の天使は、メンバーのじゅんこさんのお話だなと思いました。
じゅんこさんは、娘さんのにこちゃんに「呼ばれ」て、いまの自分があると言っていました。運命とか、堅苦しい感じではなく、もっとやわらかな「呼ばれる」ということ。
私は、自分の人生が思い通りにいかないと考えてしまう時があるので、そう言えるじゅんこさんがとっても素敵だなと思いました。
17:23
小金井と私 秘かな表現 新シーズンはじまります。
今日は第1回ミーティングです。
毎回、プロジェクトに合わせて映画をアサダさんが選んでくださるのですが、
今回は「ミスターノーバディ」「ルート225」「アクトオブキリング」の3つでした。
昨夜「アクトオブキリング」を観ました。正直、一晩あけたいまでも、頭のなかが整理できていません。
人にとって、本当に選択ってあるのだろうか。運命に向かい合うときに、人は無力なのだろうか。
フランクルの「夜と霧」も思い出しました。
演じることは、近づくことでもあり、そこに距離をとることでもあるんだなと思います。
行為と演技が同じACTであるように、
生きることは、もしかしたら演じることでもあるのかもしれません。