日本語のあらゆる要素を駆使する詩人の吉増剛造の詩には、言葉同士が別次元で響きあう「うわごと」のような感覚がある。
言葉の見かけの枠をはみ出して自由に変貌した彼の濃密な表現は、言葉それ自体が持つ磁気のようなものが凝縮され、私たちの生き生きとした心理を覗く窓となりうる。
2020年現在、詩や美術のように、組織化されていない扱いづらい感情や親密な経験に形態を与える方法を見出すための表現は、表面張力の揺らぎが起こっているように感じる。
その大きなファクターは、多くの人がリアルタイムで話す断片を読む体験が日常になるSNSが、生活インフラのひとつとなったことである。
文脈を共有しない「他者」の反応が引き出され、目に見えるようになったことによって、論理に対して倫理の価値が浮上し、薄い化粧板によって張り合わされているに過ぎない言葉遣いが繰り返されるようになった。
歌人で批評家の穂村弘は、言葉の二重性を「生きるための言葉」と「生き延びるための言葉」と表現する。「生き延びるための言葉」とは、われわれの現実生活のなかで自動化、反射化された日常・常用の言葉(見慣れた比喩や、決まりもののオノマトペ)であり、「生きるための言葉」とは、詩であり、多義的で奥行きのある意外性を含んだ表現である。
本展示は、私たちへの「生き延びる」ことの要求であるような「社会全体がのぞむ言葉」の抑圧によって、言葉が平坦なものになっている現状に対して、「うわごと」的な態度を導入し、それらの攪拌を試みるための企画である。
メンバー4名(石崎、尾崎、黒田、成島)は、同じ領域(彫刻学科)に所属しているものの、それぞれの趣味趣向や、表現方法はおおよそバラバラであり、解釈の枠組みも複雑化している。
そこで、私たちはグループワークを重ねながら、「うわごと」の意味を独自に再定義し、「うわごと」の軸を明らかにした上で、作品制作を行うこととした。
私たちにとっての「うわごと」とは、(例えば、ツイッター空間の同調圧力のような現実のように)現実(のルール)に串刺しされないことばであり、「現実から切り離して、自分で操作したことば=表現」である。
個人的な名状しがたい経験のように「伝えたいが伝わりきらない」ものの所在を掘り下げることを共通の視座とし、そこから、それぞれの視点の偏差を認めつつ、「うわごと」の各自の応答を展開する。
詩の言葉が矩形のフィールド上のものであるならば、うわごとが生まれる空間のための様々なプロトタイプを私たちの「生きる」姿として提示する。
(文責:石崎)
〈企画・作家〉
石崎朝子 / Asako Ishizaki
武蔵野美術大学彫刻学科4年
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Twitter:https://mobile.twitter.com/monimonight
〈作家〉
小崎雅弥 / Masaya Ozaki
武蔵野美術大学彫刻学科4年
mail :ozamasa0926@gmail.com
〈作家〉
黒田敬太郎 / Keitarou Kuroda
武蔵野美術大学彫刻学科4年
Twitter: https://twitter.com/black_666k?s=03
mail : kei1997925@yahoo.co.jp
〈作家〉
成島麻世 / Mayo Narushima
武蔵野美術大学彫刻学科4年
Instagram : @gorilla___park
mail : mamayo2525@gmail.com