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301号室から

2024年10月23日(水)〜 2024年10月27日(日)

圡金

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301号室から

集合住宅に住んでいるが、他の住人を1度も見たことがない。
そのくせ、いつも気配だけはすごく近くに感じている。
私は見たことのない隣人の姿が気になって仕方ない。
私はドアスコープを覗くところから始めた。

1 ドアスコープ、廊下、分裂

わたしはドアスコープを覗き込み、向かいの部屋のドアを見つめた。どんな人が出てくるだろう。
しかし、隣人は一向に出てくる気配がない。
それどころか、向かいの部屋のドアスコープから見つめ返されているような気がする。
自分の視線が向こうに届くまでの距離を全然掴めない。そして、その時間はとても恐ろしく、覗くのをやめた。
廊下に出て自分の部屋(ドア)と他の部屋を見比べる、それらは瓜二つであり、部屋番号以外で見分けることは困難だった。
なるほど、隣人(他者)に会うことがこんなに困難な場所は他にあるだろうか。
不透明な廊下。視線の反射、屈折。

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2気配、匂い、音

隣人の洗濯の音が聞こえる、柔軟剤やたばこの匂い。
何よりも身近で、何よりも鬱陶しいそれらは、羽虫のように生活に入り込み、気づけば部屋の中を飛び回っている。
大きいのから小さいの、彼らの生活がわたしの生活の中に確かに刻まれていく。
彼らの姿は、わたしの耳と鼻が良く知っているような気がする。

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3隣人の現れる場所

集合住宅は廊下やドアなどの特異な建物の造りによるものと、そこに住む人間の心理的な壁によって隣人との直接の邂逅は阻まれている。
しかし、一部の居住空間においては、そうではない。
もともと私たち住人の距離はとても近く、同じ部屋に住んでいると言っても過言ではないような距離にいるのだ。
その中でも、隣人のイメージが現れる場所というのは、壁際やベランダなどの、集合住宅におけるテリトリー(契約的にも精神的にも)の境目である(そしてこれらは少し重なり合ってたりもする)
そしてそこに現れるイメージは隣人との距離や関係によって姿や大きさを変えるのである。