7日、大木裕之さんの「メイ」の上映とトークイベントでした。
「メイ」は、大木さんが毎年5月に撮った5年間の映像の断片がつなぎあわされた、約50分の映像です。大木さんの語りや映像のピースが切り替わり、それは大木さんの眼差しを通した日常の断片であるがゆえに、空間や時間を超えて、この5年間の社会や日々の風景が抒情的に、リアルに立ちあがってくる感じがしました。
私は映像を見ながら、どうしてか自分の事をずっと思い返していました。大木さんの人生と私の人生は全く違うのに、映像の中で時々ほんの少しだけクロス、というかニアミスする瞬間をどうしても見つけてしまいます。例えば「名古屋の長者町」。私もそういえば、何年か前に長者町に行ったことがある。映像の中の宮下さんがかぶっている帽子。私がはじめてアートフルアクションに出会った時にも、宮下さんはあの帽子をかぶっていた。あの展示の風景、いつの風景だろう。見たことがあるような、ないような、聞いたことがあるような、無いような、そんなピースの断片に誘われて、私自身も気づいていなかったような私の5年間の風景をそっと立ち上げていく時間でした。それは、大木さんが、トークの中でおっしゃっていた「映像は、見た人と出会う中で「呼吸」を始める」という事なのかもしれないなと思います。
作品を完成、させる、ということは一体どんな事なんでしょうか。
大木さんの映像や語りを聞きながら、作家が生きている限り、作品の意味やその内容はその日々の中で変化していくのだと思いました。そして、それは観る人と出会いまた新しい風景を立ち上げていく。そうすると、なにかをつくるということは、もしかしたら私が思っているよりずっと豊かな対話なのかもしれないですね。