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まちはみんなのミュージアム'19

小金井アートフル・アクション!(小金井市芸術文化振興計画推進事業)

「まちはみんなのミュージアム」

 

市民主体の推進体制により生まれた、小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)の活動が始まって、今年で11年目です。市民である私たちは、「だれもが表現することをたのしむことができる」という願いをこめて、多くの市民の皆さんと活動を行ってきました。

今秋からは、小金井市のまちなかを舞台にして、音楽コンサートや造形、からだを使った表現を展開するプログラム「まちはみんなのミュージアム」を立ち上げます。このプログラムでは、一緒に企画運営をするメンバーを広く募集し、メンバーとともにさまざまな表現のかたちを実験していきます。

だれもが表現することをたのしむことができる。例えば、まちなかで歌ったりギターを弾いてみる、軒先に宝物をそっと展示してみる、歩きながら詩を書いてみる。そんな時間を多くの人と過ごすことで、新しいまちの魅力や違ったまちの姿が見えてくるかもしれません。企画を通じてたくさんの人に出会うことは、知らなかった自分を見つけるきっかけになるでしょう。「つくること」をとおして、からだやこころを見つめ直し、人や出来事との出会いを楽しみ、何かを試みてみる。アーティストと出会い、様々な形で対話を繰り返しながら、この「まち」を新しい目で見て、可能性を考え、「生きること」を考える場としていくことを目指します。

 

【活動概要】

活動期間:2019(令和元)年9月-2020(令和2)年3月(月2回程度)
活動内容:アーティストと一緒にからだやこころをほぐしながら、まちなかでのイベントを企画運営することで、企画・立案・広報・コミュニケーションの手法などを一緒に学んでいきます。

 

【参加アーティスト】

大崎清夏 おおさき・さやか/詩人

1982年神奈川県生まれ。詩人。早稲田大学第一文学部卒。2011年、ユリイカの新人(伊藤比呂美・選)としてデビューし、第一詩集『地面』を刊行。2014年、第二詩集『指差すことができない』が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集『新しい住みか』(青土社)、絵本『はっぱのいえさがし』(北島遊・絵/福音館書店)ほか。ダンサーや音楽家、美術家やバーのママなど、他ジャンルのアーティストとの共働作品を多く手がける。2015年以降、リトアニア、エクアドル、キューバ、中国などの国際詩祭や作家ミーティングへの招聘・参加を経て、2019年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘

https://osakisayaka.com/

 

 

砂連尾 理 じゃれお・おさむ/振付家、ダンサー

1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。2002年、「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」にて、「次代を担う振付家賞」(グランプリ)、「オーディエンス賞」をW受賞。2004年、京都市芸術文化特別奨励者。2008年度文化庁・在外研修員として、ドイツ・ベルリンに1年滞在。近年はソロ活動を中心に、ドイツの障がい者劇団ティクバとの「Thikwa+Junkan Project」(ドラマトゥルク・中島奈那子)、京都・舞鶴の高齢者との「とつとつダンス」、「とつとつダンス part.2―愛のレッスン」、宮城・閖上(ゆりあげ)の避難所生活者への取材が契機となった「猿とモルターレ」、音楽家・野村誠との「家から生まれたダンス」、濱口竜介監督映画「不気味なものの肌に触れる」への振付・出演等がある。また、親の老い、病と直面したことがきっかけとなり生の揺らぎをテーマとした「変身プロジェクト」を2017年より長野、東京、大阪で展開。2020年1月には水戸市民らと協働した「変身プロジェクト・水戸編」(仮)が水戸芸術館で上演予定されている。著書に「老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉―ダンスのような、介護のような―」(晶文社)。立教大学 現代心理学部・映像身体学科 特任教授

https://www.osamujareo.com/


お知らせ・関連資料


スタッフ

  • ItoAsuka
  • 荒田 詩乃
  • MiyashitaMiho
  • asamimineta

主催:東京都/小金井市/公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京/NPO 法人アートフル・アクション

小金井アートフル・アクション!(小金井市芸術文化振興計画推進事業)
NPO法人アートフル・アクションの一部事業は、2009年4月に「誰もが芸術文化を楽しめるまち~芸術文化の振興で人とまちを豊かに」という理念を目指して始まった「小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)」として推進されています。「小金井アートフル・アクション!」は、2011年度から、東京都、小金井市、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、NPO法人アートフル・アクションの4者共催により「東京アートポイント計画」の一環として実施されています。
小金井市芸術文化振興計画についてのお問合せ=小金井市役所コミュニティ文化課文化推進係(☎042‐387‐9923)


2020-05-17

21:23

コロナウイルスの影響で、3月末の「まちはみんなのミュージアム」で企画していたイベントは中止になりましたが、そのご縁で、野川沿い、武蔵野公園そばの藤本陶房さんで、カフェを始める方がいらっしゃいます。私もGW中、テイクアウトでベーグルをいただきました。美味しかった~!
GW中、テイクアウトのみの販売をし、いったん自粛、落ち着いたら本格オープンをされるそうです。また、未来の楽しみが増えました(⌒∇⌒)

*********************
伊藤さま

本日はありがとうございました😊

藤本さんとはまちはみんなのミュージアムからご縁をいただきました!カフェコティも2人でたちあげましたが、どちらもまちはみんなのミュージアムの企画運営スタッフです。
活動に参加してから大きく繋がったご縁に、改めて感謝している今日この頃です。

ブログで紹介いただけるとのこと、大変嬉しく思います!
ぜひよろしくお願いいたします✨

テイクアウト販売は次の土日で一旦自粛となり終了しますが、コロナが落ち着いたら改めてカフェとしてオープン予定です。

お時間ありましたら、またぜひ遊びに来ていただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします!

カフェコティ
草野晃子

  • ItoAsuka
  • つぶやき

2020-01-16

09:44

突然ですが、私の夫の母は昔じぶんの家で文庫をやっていて、夫実家にはいっぱい本があります。
夫の実家を年末に大掃除して、竹内敏晴やチェーホフの古い書籍が埃かぶってたくさんあって、いたく感動してしまいました。
本との出会いにも、人の出会いと同じように、出会うタイミングに出会うべくして出会うというか、そういう不思議なことがあるような気もしています。
まあそれは置いといて。

テレビで見た障害者の話しぶりが、私の目にやきついています-一つのことばがからだの中から生み出されてから、不十分な音声と化して出てくるまで、どれほど全身が必死になって動き、ふくらみ、そして切り開くとでも言うよりほかない激しさで突出してくるか。
武満徹氏に「吃りのすすめ」という文章があります。<自分を明確に人に伝える一つの方法として、ものを言う時に吃ってみてはどうだろうか><どもりはあともどりではない。前進だ。どもりは、医学的には一種の機能障害に属そうが、ぼくの形而上学では、それは革命の歌だ。どもりは行動によって充足する。その表現は、たえず全身的になされる。少しも観念に堕すところがない。>
これはすてきな発想だと思います。私がかつてそうだったような、こえの出ない人間にとっては、侮辱ととられかねない提案ではあるけれども、私たちのことばが、いのちの証でないことが多すぎる。
われわれは歪んでおり、病んでいる。スラスラとしゃべれるものは、健康という虚像にのって踊っているにすぎますまい。からだが、日常の約束に埋もれ、ほんとうに感じてはいない。そこから脱出して、他者まで至ろう、からだを劈こう、とする努力-それがこえであり、ことばであり、表現である、とこう言いたいのです。

(中略)

たぶん、方法を支えるいちばんたいせつなことは、子どもが、この場では何をしてもいいのだ-間違ってても、ワルイことでも、自分の内に動いたことなら-と感じる信頼感だろうな、と。凍ったノドをとかしたのは根的にはそれだったのでしょう。

「ことばが劈かれるとき」竹内敏晴 ちくま文庫

ことばとからだを通して表現を考える、という事をみんなで考えてきたのですが、ことばから見た表現、やからだから見た表現、というより、そのつながりや微妙なずれ、もっと複雑に絡み合っている、そのありようから人が表現することを考えたい気がしています。竹内さんが言うように、からだや命の証が、ことば、声であり、表現だとしたら、なにかをつくること、あらわしてゆくことはやっぱり生きることそのものだともいえるかもしれない。

饒舌じゃなくていい。上手にできなくてもいい。どもったっていい。
けれど全身をふるわせ、自分が本当に心で思うことをおずおずと声にしてみること。そういうことが展開されていくといいな、と思います。
そのために、自分の内に動いたことなら、何をしてもいいと思えること、そういう信頼感のある場をつくっていくこと。

  • 荒田 詩乃
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2019-12-17

16:20

色んなひととプロジェクトをすることは愉しい、たのしいと思います。

誰かと何かをやることは、自分の思うようにいかないこともあります。
自分ばっかり色々なことを背負っている気になって、もう嫌だ、何もしたくないうおーんとなることもあります。
分かり合えないしんどさに、誰とも話をしたくないときもあります。

だけど、思いもかけないような人が思いがけないタイミングでパワーを発揮したり、へこんだとき、思いもよらぬ言葉ややさしさにに救われることがある。
自分の想像しえなかった瞬間が生まれるとき、ああ本当にこのプロジェクトに関わってよかったと思うのです。

少しずつ身体の細胞が生まれ変わっていくように、色んな人に出会いながら、色んな事を話しながら、
わたしの一部がちょこっとずつ入れ替わっていくような、そんな予感がするのです。誰かとプロジェクトをやるといつも。

明確な目的やゴールではなく、行きつ戻りつもあり、ややこしさもあり、面倒くささわかりにくさももちろんあり、
けれど、その中で出会う一瞬のきらめきやスパークに助けられ、なにより私自身が色んな事を教わっているような、いつもそんな気がしています。
事務局はほんとうに役得です。

  • 荒田 詩乃
  • つぶやき

2019-09-29

19:22

昨日はまちはみんなのミュージアム1回目でした。
一回目の活動から宿題を出すというスパルタ(?!)ながら、みなさんすごく面白いものを持ってきてくださいました。

日記を1日以上書いてくるという大崎さんの宿題と、砂連尾さんのまちで気になる場所を撮ってくる、という宿題。あまり意識していなかったのですが、日記と写真が連動してきた方がいて、それはとても面白いと思いました。

 

終了後のミーティングのなかで、3月にアートウィークスの方向についての話がとても印象に残っています。
まちなかで何か表現をするとしても、フェスティバル化していくより、ささやかな、ひとりでも表現をしてもいいよ、という内なる世界への豊かさにつながること、連帯ではなく、動員でもなく、もっとそれぞれの可能性が拡張することを考えられないか、というお話が砂連尾さんからありました。
それは、このグローバリゼーションのなかで疎外されている身体(自分とのつながりでもあり、他者との)とのつながりを取り戻すことでもあり、この瞬間あることへのリアリティを取り戻すことにもなるかもしれません。
なんというか、それぞれのその一瞬のたしかさのなかにそっとたちあがる、「まちはみんなのミュージアム」が織りなすその風景を、私は見たいなと、それはきっとすてきだろうな、と思ったのでした。

さあどうひらいていこうか。たのしみです。

  • 荒田 詩乃
  • つぶやき

2019-09-12

19:05

ボスかああ‥。
石原裕次郎だよ。(一定以上の年齢の方にしか通じません。すみません)

「いいマネジメントは、いいものをつくるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」と言っていました。

と、荒田さんが書いてくれています。

ちょっと付け加えると?あるいは訂正すると、ですね、私はそう言ったのかもしれないけれど、

「いいマネジメントは、いいものが生まれるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」

って感じ。別に、私がそれができているってわけじゃないの。
私のエゴを皆が受け止めてくれている、優しい人たちに囲まれて。

采配ではないですね、采配なんてできません。おこがましい。
不特定の人がさまざまま思いを抱いてあるとき寄り集まり、また別れていく、その一瞬に出会うこと、その一瞬が豊かな優しいものであることを願い、そして、そこにいることの幸福を考えます。でもね、それもどんどん変わっていくし、出会いと別れの積み重ね。豊かな別れが豊かな出会いを産んだりね。

総合的に儚いけれどね。そして、皆さんの幸福を願う、ってことなんだよね。きっとね。

追加と継続。

  • MiyashitaMiho
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2019-09-11

11:57

最近インターンとして参加し出しました峯田です。

あんまりアートとか、NPOとかわかっていないけれど、もっと手軽にアート、のようなものに関われる未来を作りたい、と思って今回来ました。

とは言うものの、自分がここに関わっていることに未だ違和感を感じつつ。何もわからないゼロからのスタート。

しかしだからわくわくしている自分がいます。

ここまでの活動と言えば、武蔵小金井駅前でのビラ配り。荒田さんによると、小金井市の方々にこの事業の存在はほとんど知られてないんじゃないか、ってことで、今回認知の意味も込めて。

でも知らない団体のよくわからない活動って興味を持ってもらうのって難しいなあ。そもそも自分が何をやりたいんだろう?伝えたいんだろう?なんて迷いながらの勧誘なので、声も小さく。当然誰にも届かず、注意を向けられることも無いまま素通りされる。と、そこに写真を大きく印刷した荒田さんが登場。大きな声で「詩人と街を歩いたりダンサーと街で踊ったりしてみませんか」と言ってくれる。自分は配り役に徹する。そうすると、すごくやりやすくなった。今まで群衆として恐れていた目の前の人たちの、一人一人の顔が見えるようになった。相変わらず受け取ってはもらえないが、「わたしはあなたとコミュニケーションとりたいんです」ということをビラを渡すことで伝えられたらと思った。

そんなんで、後半10分ぐらいだけ自分でも声を出してみました。意外にやけっぱちの大声を出すことができて、ちょっと楽しくなりました。なんかこれも一種のパフォーマンスなんじゃないか、と、完全に自己満。これは何かと繋がっているのか?ここから何か始まるのか?わからないんですが、駅前でなんか言ってる人がいるなあ、とさざ波や波紋のような小さなものが誰かや、自分の中に生まれるのって面白いな、と思いました。

  • asamimineta
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2019-09-08

17:33

「小金井と私 想起の遠足」 に参加してくれた、Sさんが、ギャラリーでやっている企画展「正しい歪み方」を見に来てくれました。近況報告から、「想起の遠足」のときの出来事を少し話して。

「想起の遠足」のプロジェクトの中で、ある意味ほっとかれる部分があって、自分でやらなきゃと思ったとSさんは言ってくれました。また、あの時参加するのがとても楽しかったと。本当に素敵な人たちに恵まれたと。個人的にはできなかったこと、たくさんあるな、と思うのですが、そうやって言ってもらえるだけで、本当によかったなあ、と泣きそうになるほど嬉しかったです。昨日から失敗ばかりでへこんでいたので会えたことはとても私の救いになりました。

 

今、「まちはみんなのミュージアム」をどうやっていくかと考えています。今日Sさんと話して改めて強く思ったのですが、プロジェクトは人と人のなかで有機的に育まれて行くのだなと思います。メンバーもアーティストも私達事務局も、そしてまちのなかの人々も、このフィールドで、それぞれの人生のタイミングのなかでほんの一瞬集い、お互いに変容しながら、派生したり、曲がり角を曲がったり、また出会ったりしていくものなんですね。そういう色々な事も含めて、本当はプロジェクトなんだと思います。マネジメントなんぞしきれない、共にまなぶものだ、と思います。

昨日、われらがボス宮下さんは、「いいマネジメントは、いいものをつくるコミュニティをつくることだ。マネジメントは采配じゃない」と言っていました。

 

まちはみんなのミュージアムの応募締め切りは昨日まででした。Sさんは、「新しくはじめるプロジェクトは、参加する人へのギフトとしてやってほしい」と言ってくれました。私にできることはなんだろう。やりたいと思ったその時、誰もが、きっと表現を楽しむことができる。その難しさをかみしめながら、けれど軽やかに、また楽しんでいきたいと思います。

  • 荒田 詩乃
  • つぶやき

2019-09-05

20:17

メンバー募集のチラシまきを武蔵小金井駅周辺で行ってきました。

一緒に参加してくれた、伊藤さん、峯田さん、本当にありがとうございます。本当に心強かったです!感謝!!

 

なかなかチラシは受け取ってもらえず。途中からこれまでのプロジェクトの写真を持ってきて、「詩人とまちを歩いてみませんか」と声をはりあげてみる。

遠巻きにこちらを見る人、近づいてきてチラシを見つめて、でも受け取らない人。面白そう、申し込むと言って帰って行った人もいました。途中道を聞かれて長崎屋に行きたいとおっしゃっていたおばあさんがいました。駅前の長崎屋は、もう無いんですと伝えながら、もう無い小金井の記憶を市民に聞いた三年前のプロジェクトを思い出していました。

道行く人に、どう声をかければ伝わるのか。何を用意すればもっと興味を持ってもらえるのかな。伝えたい相手をきちんと解像度をあげてイメージしてみることが大事なのかな、という気がしました。そうするとチラシの書きっぷりも声のかけかたも、どういう作戦をするのか、ももっと変わってくる。

 

あと、たった一時間半ですが、駅の前にいるだけで、どんな人が通るのか、見えてくるものですね。例えば、パンクロッカー的な格好をした人(死語?!)は殆ど出会わないし、スーツを着た人が多い。あと、私の住んでいる埼玉は駅の混むピーク時間は7時くらいだけれど、小金井の今日の様子を見たところもう少し早いようで。

文化政策を研究している伊藤先生が前に、いわゆるアウトリーチはホールから地域に出てプログラムをやる出前事業だけじゃなくて、それを通してまちの課題を知る機会であるとおっしゃっていました。そこでつかんだ課題をまた事業に反映させてゆく。

まちにでることはまちを知ることで、そこからまたプログラムが変容していく。今回のまちはみんなのミュージアムもある意味アウトリーチ的でもあるかもしれないと思いました。日々アウトリーチ。

  • 荒田 詩乃
  • プロジェクト準備

11:12

プロジェクトのスタッフとしての腹のくくりかたについて。

私自身は、表現についてまだわからない事がいっぱいあるなと思っています。それがある種の自信の無さを作りだしている気がしています。そしてそのことでアーティストやプロジェクトで関わった方に迷惑をかけてしまうこともこれまでありました。

できないことを開き直るのではなく、もちろん学び続けることは大前提として、今の私ができることはなんでしょうか。と思うのです。
私のこの立場で、これまで関わってきた色んなできごとを結集して、これから出会う色んな人と何ができるでしょうか。足りないです、知識も経験もすさまじく未熟です。もう一つ足すと人間的にもまだまだ稚拙で成熟した大人とはいえません。けれど、そんな私が、全身をかけてできることってなんだろうと思うのです

わからないことをわからないと、できないことをできないと認めるのはこわいことです。そこから踏み出すことも怖いことでもあります。

けれど、参加してくれた人や、関わってくださった方、応援してくれる方、アーティストにとって、誠実さを持って、今の私にできる事は何かと問いながら、胸を張って、わたわた、やっていきたいな、と思います。

時々(よく)おろおろ、うろうろへこたれますが。

これはつよくつよく自戒を込めて。

  • 荒田 詩乃
  • つぶやき

2019-09-01

14:31

まちはみんなのミュージアム、参加アーティスト、大崎清夏さんが参加された「音で観るダンスのワークインプログレス」に昨日行ってきました。

視覚に障害のある人たちが芸術を楽しむために、音で視覚情報を補助する「音声ガイド」。この音声ガイドをダンスという言語で説明が難しいものにつけてみる事を3年間かけて様々な人と研究しながら行うプロジェクトの3年目の発表会でした。単に音声ガイドについて研究することを超えて、ダンスの鑑賞体験そのものを問い直したり、他のひとにとっての観賞体験に思いを馳せることになったり、みること、わたしたちの身体そのものを問い直すプロジェクトでした。

そうそう、私達は目だけで見ているわけではないし、耳だけで聞いているのではない。身体をつたわる振動による空間の把握もある。からだで感じる音から、ダンサーがどこにいるか、暗闇の中だってわかる。

はじめは明るい状態でいくつかの音声ガイドを選びながらダンスを見て、その後真っ暗闇で音声ガイドを頼りに鑑賞する。こびりついた視覚イメージが脳内から消えず、視覚イメージの強さをあらためて感じる。目が見えない方にとっては、ぴじんさんのダンスが、暗闇でけもののようなものがうごめいているように感じるのだそう。一度視覚イメージを持ってしまった私は、そんな風に自由に想像を飛ばすことができない。見ることでみえなくなるものもある。

言葉にすることでみえてくることや、感じるリズムもあるよね。
みることや言葉にすることを問い直してみるとき、このまちで、どんなことがみえるのだろうか。

HPにアーカイブがあります。ご興味のある方は↓よりぜひ。

http://otodemiru.net/

  • 荒田 詩乃
  • つぶやき

2019-08-01

08:39

つまり、アートや造形の本ではないけれど。

「3章 環境のバラツキが種多様性をつくる」

そうだよね。

2章の末尾では、ブナが占有している森の一部が崖崩れによって崩れて、そこに新しい種が移入してくるサイクルが書かれています。
たくさんの種が存在することで、病気でいっぺんに多くの植物が枯れてしまうことを防ぐとか、森に棲むことのできる動物がふえるとか、多様であることがとても大切、なのはわかる。

この本はそのメカニズム(ものすごく面白い!)を丁寧に書いてくださっていますが、ここまで読んで、ふむふむ、だろ!って思うのは、やっぱり、この、撹乱(前述の場合には崖崩れね)があることで、新しい種が入ってきて、また新しい多様性を森に持ち込むってこと。

スギヒノキの人工林だって、一生懸命孫子のことを考えて植えたおとっつぁんがいたことも確か。いい悪い、なんて言えないけれど、ただ、撹乱を繰り返していくことが多様性を高める場合があること、もちろん、先の震災やたくさんの自然災害を前にしてそんな悠長なことは決して言えないけれど、そういうことも恐れずに考えていったほうがいい。個人的にはね、そう思う。

多種共存の森

ここからが本題。

そんな話と、小金井という街でプロジェクトをすることについて話した。
私は何となく、比較的均質で、場合によってはちょっと排他的な感じがすると思ったりしていて、その中で誰に何を話すんだろう?って。Mさんに。
そしたら、コンビニには海外から来て働いている人がたくさんいるし、彼らには一人一人の家族や暮らし、人生がある。その一人一人に会いにいくだけで世界の広がりに触れられるでしょって。だよね。だよね。

生態学で撹乱って言葉は出てきて、ちょっとドキッとしてしまう強い言葉だけれど、でも、これは悪いことじゃない。氾濫原というのもね。とてもデリケートで、豊かなで大切な欠くべからざるところ。そして、例えば水がかぶったり引いたりする所にしか生きられない動植物もたくさんいる。多様で美しい。

洗った洋服から千円札が出てきて、夜中のコンビニで店員さんに自慢した。そしたら、よかったですね!と(よかったかどうか、後から考えるとわかんないけど)。でも、夜中に知らない国の人とそんな話をして、帰りにどんな街で育ったのかな?と想像した。どんな風景なのかな。そして、この夜のやりとりで、支えられているのはいったいどちらなのか?と。

奄美大島のほとんど一軒しかないコンビニでは、ベトナムから来た先輩の店員さんが来たばかりの店員さんを丁寧にフォローしていた。日本の怖い客から(私ね)、違う国に来たばかりの人を守ろうとしているのか?知らない国に来たら、それはそうだよね。でもその優しさのある営みに、やっぱり私は励まされる。

さてさて、長くなったからおしまい。
継続。

  • MiyashitaMiho
  • つぶやき