つまり、アートや造形の本ではないけれど。
「3章 環境のバラツキが種多様性をつくる」
そうだよね。
2章の末尾では、ブナが占有している森の一部が崖崩れによって崩れて、そこに新しい種が移入してくるサイクルが書かれています。
たくさんの種が存在することで、病気でいっぺんに多くの植物が枯れてしまうことを防ぐとか、森に棲むことのできる動物がふえるとか、多様であることがとても大切、なのはわかる。
この本はそのメカニズム(ものすごく面白い!)を丁寧に書いてくださっていますが、ここまで読んで、ふむふむ、だろ!って思うのは、やっぱり、この、撹乱(前述の場合には崖崩れね)があることで、新しい種が入ってきて、また新しい多様性を森に持ち込むってこと。
スギヒノキの人工林だって、一生懸命孫子のことを考えて植えたおとっつぁんがいたことも確か。いい悪い、なんて言えないけれど、ただ、撹乱を繰り返していくことが多様性を高める場合があること、もちろん、先の震災やたくさんの自然災害を前にしてそんな悠長なことは決して言えないけれど、そういうことも恐れずに考えていったほうがいい。個人的にはね、そう思う。
多種共存の森
ここからが本題。
そんな話と、小金井という街でプロジェクトをすることについて話した。
私は何となく、比較的均質で、場合によってはちょっと排他的な感じがすると思ったりしていて、その中で誰に何を話すんだろう?って。Mさんに。
そしたら、コンビニには海外から来て働いている人がたくさんいるし、彼らには一人一人の家族や暮らし、人生がある。その一人一人に会いにいくだけで世界の広がりに触れられるでしょって。だよね。だよね。
生態学で撹乱って言葉は出てきて、ちょっとドキッとしてしまう強い言葉だけれど、でも、これは悪いことじゃない。氾濫原というのもね。とてもデリケートで、豊かなで大切な欠くべからざるところ。そして、例えば水がかぶったり引いたりする所にしか生きられない動植物もたくさんいる。多様で美しい。
洗った洋服から千円札が出てきて、夜中のコンビニで店員さんに自慢した。そしたら、よかったですね!と(よかったかどうか、後から考えるとわかんないけど)。でも、夜中に知らない国の人とそんな話をして、帰りにどんな街で育ったのかな?と想像した。どんな風景なのかな。そして、この夜のやりとりで、支えられているのはいったいどちらなのか?と。
奄美大島のほとんど一軒しかないコンビニでは、ベトナムから来た先輩の店員さんが来たばかりの店員さんを丁寧にフォローしていた。日本の怖い客から(私ね)、違う国に来たばかりの人を守ろうとしているのか?知らない国に来たら、それはそうだよね。でもその優しさのある営みに、やっぱり私は励まされる。
さてさて、長くなったからおしまい。
継続。